1972
1973

DINO 308 GT4が到着

初のV8ミッドシップ

DINO 308 GT4が到着
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312 B3-73
Dino 308 GT4
1974
DINO 308 GT4が到着
1973DINO 308 GT4が到着
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1973ニキからジョディーへ

DINO 308 GT4が到着

初のV8ミッドシップ

Dino 308 GT4は、フェラーリの中でも独自の存在感を放つモデルです。このニューモデルは、V8エンジンを搭載した量産型ロードカーの第1号、そしてミッドシップエンジン搭載4シーターの第1号(実際は2+2)と、マラネッロとしても初めて尽くしのニューカーだったのです。このモデルのスタイリングはピニンファリーナではなく、1953年以降に初めてベルトーネが手がけました。

DINO 308 GT4が到着

このモデルはパリモーターショーで発表されました。マラネッロで生産されたV12エンジン以外を搭載したモデルの慣例として、このモデルにはDinoのエンブレムのみが冠されました。308 GT4は、246 GTおよびGTSの生産終了前にラインナップに加わりました。車名の数字は排気量と気筒数を表しており、この場合は3リッター8気筒、 4は4シーターであることを示しています。このモデルは、全長がわずか4.3mですが、2つのリヤシートを備えており、コンパクトなボディにパワフルなエンジンを組み合わせ、スペースを最大限に活かしています。排気量2996 cc、250 hpを発揮する90° V8エンジンはリヤアクスル前方のミッドセクションにマウントされ、最高速度は230 km/hに達し、後輪駆動方式を採用、5速ギアボックスが搭載されています。 このモデルは1974年から1978年まで生産されました。15年前までは比較的安価なヒストリックカーとされていましたが、現在は再び脚光を浴び、その価格は2倍(場合によっては3倍)に跳ね上がっています。

Dinoの名は1976年末まで用いられ、その後フェラーリ・ブランドに改称されました。これにより、特に米国で顧客にアピールができたのです。Dinoは、他のモデルが認可されなかったため、米国のディーラーが顧客向けに販売できる唯一のモデルであった時期がありました。長年エンツォ・フェラーリが目指した市場である米国に送り出すことができる唯一のモデルとして、フェラーリ・ブランドに移行した後も、すでに輸入された車輛のテールにはDinoのエンブレムが残されましたが、のちに跳ね馬のエンブレムのみが使用されるようになりました。

特に1975年モデルのブラックのDino 308 GT4はエルヴィス・プレスリーが所有したとされ、今でもその名が広く知られています。このDino 308 GT4にはラゲッジコンパートメントがあり、スペアタイヤを備えていました。この方式は、のちにすべてのメーカーで採用されることになりました。その後、2.0リッターエンジンの208 GT4も登場しました。これは、オイル危機が背景にあったことと、当時のイタリアの高い税率に対応するために生まれたモデルです。

DINO 308 GT4が到着

1973年の傑作