2003
2004

制止不能

フェラーリによるF1新記録

制止不能
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360 GTC
612 Scaglietti
F2004
F430
2005
制止不能
2004制止不能
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
2004シューマッハの圧倒的強さ

制止不能

フェラーリによるF1新記録

2003年、ミハエル・シューマッハとフェラーリは勝利を目前に最後のレースまで苦戦を強いられましたが、2004年を迎えるとシューマッハが全く異なるストーリーを展開させ、マラネッロに圧倒的な勝利をもたらしました。彼らのパフォーマンスは、7月の時点でタイトル獲得を決定付けた2002年シーズンのそれすらを超越するものでした。2004年は、タイトル獲得までに若干の時間を要したものの、新たな記録を打ち立てたという意味では、2002年に匹敵する結果を残したと言えます。

制止不能

シューマッハはシーズン開幕戦のオーストラリア戦を皮切りに、マレーシア戦、バーレーン戦、サンマリノ戦、そしてスペイン戦と5連勝を収めます。ミハエルはモナコGPまでに50ポイントを獲得しており、チームメイトのルーベンス・バリチェロを18ポイント引き離すと、真のライバルで驚異的な印象を醸していたBARのジェンソン・バトンに対して倍以上のリードを確保しました。モナコGPの優勝が確定するものと思われていましたが、このモンテカルロのレースでは、カーNo.7のヤルノ・トゥルーリが勝利します。セーフティカーが導入されている中での不運なインシデントによって、シューマッハはリタイアを喫してしまったのです。レースをリードしていたシューマッハは、F2004のブレーキを温め続けるためにアクセルとブレーキを交互に操作していました。そうした中、トンネルでファン・パブロ・モントーヤとの間で判断ミスが生じてしまったのです。モントーヤは、フェラーリへの衝突を避けるため、右へ素早くステアリングを切ると、彼に気付いていなかったシューマッハも右へステアリングを切ってしまいました。これによって衝突は避けられない状況となり、シューマッハのマシンはバリアに衝突、フロントサスペンションが破損してしまいました。しかし、このリタイアでミハイルの勢いが止まることはありませんでした。彼は5月30日にニュルブルクリンクで開催された次のヨーロッパGPに参戦すると、そこから雪辱を果たしていきます。アイフェル山地のニュルブルクリンクにおける彼の勝利は、このあと8月中旬のハンガリーGPまで続く7連勝のきっかけとなりました。7月4日に開催されたフランスGPは、その中で最も記憶に残るレースのひとつです。その時点でフェラーリの戦略担当は、ミハエルの実力に全幅の信頼を寄せており、ルノーのフェルナンド・アロンソに勝てると信じていたことからピットストップ4回という作戦に出ました。

勝利に向け、シューマッハは予選と同様に約70周を全力で走り切らなければなりません。もちろん、結果としてシューマッハは完璧な走りを見せ、アロンソにおよそ9秒、そしてチームメイトのバリチェロには31秒の差をつけて勝利します。 フェラーリは、ハンガロリンクで14回目のコンストラクターズタイトルを獲得したものの、シューマッハが成し遂げようとしていた前人未到の7回目のドライバーズタイトルは、次のベルギーGPまで持ち越しとなりました。ケルペンの伝説的ドライバーは、その日、キミ・ライコネンに破れて2位でフィニッシュすることとなりましたが、それもまったく問題ではありませんでした。シーズン終盤の5戦を残したまま、彼はタイトル獲得を決めます。 圧倒的な強さを示したシューマッハと、イタリアGPや中国初のグランプリで勝利を納めたバリチェロの活躍により、フェラーリはシーズン18戦のうち15レースで勝利を納め、確かな貫禄を見せつけるとともに様々な新記録を打ち立てたのです。ミハエルは全有効ポイントの82%を獲得しました。彼はバリチェロに34ポイント、そしてバトンには63ポイントという大差をつけてシーズンを終えています。フェラーリは誰もが認めるがF1の王者となりました。フェラーリが1999年から2004年まで毎年コンストラクターズタイトルを勝ち取ると、シューマッハは2000年から5年連続でドライバーズタイトルを獲得。彼はこの偉業により、フェラーリの歴史のみならずF1の歴史にも名を残す最も成功したドライバーと評されるようになりました。彼は「伝説」そのものであり、ティフォージの心をつかむかけがえのない存在でした。引退から3年後の2010年にメルセデスを駆ることとなってもそれは変わりませんでした。

制止不能

2004年の傑作