1952
1952

アスカリの勝利

初のF1世界タイトル

アスカリの勝利
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225 S
340 Mexico
375 INDIANAPOLIS
250 S
1953
アスカリの勝利
1952アスカリの勝利
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各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1952初めての世界タイトル

アスカリの勝利

初のF1世界タイトル

1952年9月7日にアルベルト・アスカリがモンツァで勝利したことで6連勝を果たすことになり、F1の世界チャンピオンに輝きました。スクーデリア・フェラーリがこのカテゴリーで世界タイトルを獲得したのは、これが初めてのことです。アスカリはポールポジションを5回獲得したうえに、優勝したレースでは全てファステストラップを記録するなど、シーズンを通して他をまったく寄せ付けませんでした。

アスカリの勝利

その前年、アスカリはチームメイトでフェラーリ初のF1勝者であるホセ・フロイラン・ゴンザレスを破って2位を獲得していましたが、フェラーリは、もはや表彰台の獲得だけでは満足できない状態になっていました。スクーデリア・フェラーリが1952年に掲げた目標は明確で、優勝すること、ただ一つでした。 その年と翌年 1953年のワールドドライバーズチャンピオンシップでは、2000 ccまでの自然吸気、または750 ccまでのターボ仕様をエンジンの最大容量とし、使えるシャシーはF2仕様、総重量に制限なしというF2のレギュレーションが適用されました。そのため、フェラーリはレースに新しい2リッター直列4気筒エンジンを搭載した500 F2を投入しました。 総合優勝は、8戦のうち上位4つの成績をもとに決定されます。レーススケジュールには従来通りインディ500が含まれていましたが、通常、ヨーロッパの自動車メーカーがこのレースに出場することはありませんでした。しかしその年、エンツォ・フェラーリはアルベルト・アスカリをドライバーとした375 Indianapolisをエントリーすると決めました。マラネッロが北米での伝説的なレースに参戦すべく正式にエントリーしたのは、これが最初で最後になります。

1952年はレーストラックの内外でフェラーリにとってきわめて重要な年になりました。F1のタイトルと同様、ミッレミリアに勝利しスポーツプロトタイプクラスで争う耐久レースを勝ち抜くことが、プライベートチームに車両を販売する上でさらに大きな意味を持っていたのです。その好例となるのが、モナコGPにおいてヴィットリオ・マルゾットが225 Sで上げた勝利で、これはこのGPでフェラーリが初めて獲得した勝利にもなりました。 F1世界選手権において、スクーデリア・フェラーリはアルベルト・アスカリ、ニノ・ファリーナ、ピエロ・タルッフィという、アグレッシブな3名のドライバーをエントリーしました。彼らの他にも、ジジ・ヴィロレージやアンドレ・シモンといったドライバーが控えていました。

5月末のインディ500に備えるため、アスカリはベルンのスイスグランプリを見送りました。インディ500の2週間前に開催されたこのレースでは、タルッフィが勝利を収めています。 アスカリは米国でのレースにおいてタイヤトラブルという不運に見舞われ、リタイアを余儀なくされました。2つのレースに出たものの、ポイント獲得にはなりませんでしたが、シーズンに対する諦めの気持ちが強まる中、スパ・フランコルシャンの第3ラウンドをきっかけに、アスカリは残りの6戦において全勝を果たしました。 彼の勢いは次のシーズンも衰えず、彼は2度目のドライバーズタイトルを獲得しました。 以来、F1選手権においてイタリア人のチャンピオンは誕生していません。ミラノ出身のミケーレ・アルボレートがあと一歩のところまで来ましたが、タイトル獲得には至りませんでした。当然のことですが、彼が1985年にドライブしたのもフェラーリのマシンです。

アスカリの勝利

1952 Masterpieces