1995
1996

シューマッハ初

シューマッハがバルセロナで勝利

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F310
1997
シューマッハ初
1996シューマッハ初
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1996継続的な革新

シューマッハ初

シューマッハがバルセロナで勝利

1996年5月19日、モンテカルロ市街地コースでモナコグランプリGPが開催され、ミハエル・シューマッハのFerrari エフサンイチマルF310がポールポジションを獲得しました。そのユニークなサーキットでも、マシンは持てる性能をフルに発揮する好調さを維持していました。決勝当日、モナコ公国に降った小雨もあって、ウェットコンディションに強いシューマッハへの期待は高まる一方でした。

シューマッハ初

しかし、予期せぬことが起きました。ミハエルは出だしから遅れてトップの座を譲ると、ウィリアムズのデビッド・クルサードを追いかけている最中にポルティエの濡れたカーブでスリップしてガードレールにクラッシュしたのです。彼は「致命的なミスをして絶好のチャンスを逃してしまった」と話したうえで、「チームのみんなにはお詫びしたい。フェラーリのファンには借りを作ってしまったよ」と続けました。 2週間後のスペインでその借りを返す機会が訪れました。乾いた路面の予選では、シーズンを通じて常にそうであったように、ウィリアムズがフロントローを独占しました。ジャック・ヴィルヌーヴとは0.4秒差、シューマッハとは約1秒の差でデイモン・ヒルがポールポジションを獲得したのです。しかし、決勝当日は土砂降りの雨でした。セーフティカーの先導でレースをスタートさせるかに見えましたが、直前になってレースディレクターは通常のスタートが可能であると判断しました。各マシンがカタルーニャの水浸しになったアスファルトの上で慎重にスタートを切る中、シューマッハはスタートで出遅れたことから第1コーナーまでには7番手にまで順位を落とし、チームメイトのエディ・アーバインが先を走ることになったのです。走行しているうちに1周目だけでも5台のマシンが離脱し、レースディレクターの下した判断は間違いだったことが判明しました。アーバインも2周目でスピンすると、エンジンストールでリタイアとなりました。3周目で早くもシューマッハはベネトンのゲルハルト・ベルガーと4番手争いを繰り広げていましたが、その時点でトップを走っていたヒルがスピンしたため、2人の争いはすぐに3番手を競うものとなりました。レース終了前、ヒルはもう一度スピンしてピットウォールに激突したことからリタイアを喫しています。こうしたレース展開の中、ヴィルヌーヴがベネトンのもうひとりのドライバーであるジャン・アレジを抑えて先頭に立ちました。シューマッハは4周目にベルガーを抜いて3番手に浮上すると、先を行くアレジを追いかけて疾走しました。

ジャンは雨にめっぽう強いドライバーでしたが、その日のミハエルは絶好調でした。ミハエルは、あっという間にベネトンのスリップストリームに入り、9周目には2番手に上がりました。この時点で、ミハエルが前方のヴィルヌーヴをパスするのは時間の問題となりました。それからわずか3周後にはカーナンバー1のフェラーリがトップに踊り出て、13周目には後方を走るヴィルヌーヴとの差を4秒に広げたのです。ミハエルはレースを完全に支配していました。彼がハイペースでラップを重ねると、後続との差はどんどん開いていきました。そして14周目、彼は1:45:571という、そのレースの最速ラップをマーク。残りのドライバー達の中で最も速かったジョーダンのルーベンス・バリチェロに対して2.2秒の差を付けました。外から見ている様子では全てが順調に進んでいるかのように見えました。しかしシューマッハの驚異的な走りの裏では、連盟が全てのメーカーに義務付けた排気量のV型10気筒エンジン(ゼロヨンロク046型)で問題が起きていたのです。実際、18周目でシリンダーのうち1本か2本が水の浸潤により動作しなくなっており、事態を理解できる人なら誰もが故障を危惧し始めるほどでした。 24周目にエンジンは調子を取り戻しましたが、その7周後には再び気掛かりな音を発していました。シューマッハと彼を追走する2番手のアレジとの差は1分から45秒に縮まったものの、その日はハッピーエンドが待ち受けていました。最初にフィニッシュラインを越えたのはF310で、シューマッハはスクーデリア移籍後初の勝利を果たしたのです。以降2006年の中国グランプリGPまでのわずか10年の間に、彼はこのチームで71勝を収めています。

シューマッハ初

1996年の傑作