1974
1975

チャンピオンのラウダ

312 Tでラウダがタイトルを獲得

チャンピオンのラウダ
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308 GTB
312 T
Dino 208 GT4
1975
チャンピオンのラウダ
1975チャンピオンのラウダ
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1975ニキからジョディーへ

チャンピオンのラウダ

312 Tでラウダがタイトルを獲得

惰性的な状況から抜け出し、事の成り行き、さらには運命そのものを変えていくには、天才的なひらめきと少しばかりの運があれば十分です。実際、F1におけるフェラーリの運命は当初封印されているかのように見えましたが、たったひとつの出来事、つまり1台のニューモデルの到来によってそのシナリオは異なる展開となったのです。1975年はマラネッロチームにとっての実り多き年として歴史に刻まれました。

チャンピオンのラウダ

前年の1974年には、ニキ・ラウダの2勝とクレイ・レガツォーニの1勝による計3回の優勝と、10回のポールポジション獲得(1回を除いて全てラウダ)を達成していたため、1975年の世界選手権を間近にしてエンツォ・フェラーリは自信に満ちあふれていました。 ニュー312 Tはシーズンの開幕に間に合わない、ドライバーの顔ぶれは前シーズンと同じ、ただし312-B3は性能のアップが図られて十分な競争力を確保している。少なくともこれが一般的な見解でした。実際、アルゼンチンGPとブラジルGPでは、ライバルの健闘により、フェラーリ・チームは得点圏内の完走で満足しなければなりませんでした。口ひげを蓄えたレガツォーニはどちらのレースも4位でのフィニッシュとなり、「コンピューター」と呼ばれたラウダは5位と6位という結果でした。当初の期待とは裏腹に、納得のいかない結果に終わってしまったのです。新しいグッドイヤーのタイヤコンパウンドが、旧式のB3には適合していなかったため、フェラーリは南アフリカでのデビューを目指して新車の準備を急ぐよう技術スタッフに要求します。旧モデルに比べ、312 Tは全面的な見直しがなされていました。水平対向エンジンを搭載した点は以前と同じですが、ニューモデルではキアボックスをリヤホイールの前方に横置きしました。モデル名の “T” は、横置きであることを示す英語表記「Transverse」から取ったものです。ギアボックスを横置きにしたのは、重量物をできるだけ中央に集めるとともに、全長を短くして操縦を容易にすることが目的でした。シャシーの形状は台形で、サイドが下向きに傾斜していました。タイヤの性能を改善する新型のサスペンションや、大きく張り出したリヤスポイラーもこのマシンの新たな特徴です。エアインテークはそのまま312 Tに引き継がれましたが、312 Tのエアインテークには、ホワイトをベースにしたイタリア国旗のデザインが採用されています。南アフリカGPにおいてラウダは5位でフィニッシュしたものの、マシンはまだ完璧な水準に達しておらず信頼性に欠けていました。しかし、キャラミ・サーキットにおけるその後のテストデーで、ポールポジション獲得のタイムよりも速く走ったラウダは、シルバーストーン(世界選手権の対象外のレース)で312 Tに初優勝をもたらします。

続くスペインGP、ラウダは練習走行中に再び最速をマークするものの、決勝でクラッシュを喫し優勝を逃してしまいます。けれども、そこまでの結果が良好であったことから、良い兆しが見えつつありました。実際にモナコGPでは、まるで魔法にかかったかのように、全てが良い方向へと向かい始めます。ラウダは、マシンの微調整と完璧なタイヤ選択によって持ち前の実力を発揮し、次々と優勝を飾って総合首位に立ちます。彼は、モナコ、ベルギー、スウェーデンで3連勝を挙げると、オランダでの2位を挟み、フランスで再び勝利を収めています。ドイツとイタリアで3位を飾ると彼の首位は不動のものとなり、早々と世界チャンピオンの座を射止めました。そしてさらに米国GPであげたシーズンを締めくくる勝利は、アメリカを重要マーケットとするフェラーリにとって、販売戦略上も大きな意味を持つものとなりました。 これに対してレガツォーニは、モンツァでの優勝、ドイツとフランスにおける2度の表彰台獲得によって総合5位にフィニッシュしたほか、フェラーリのコンストラクターズタイトル獲得にも貢献しました。9回のポールポジションと2回の最速ラップによって、ラウダの強さはいちだんと明らかになりました。また、最速ラップを4回記録したレガツォーニも、ディジョンで開催されたスイスGP(選手権対象外)において圧倒的な勝利を収めています。1964年の世界選手権ではジョン・サーティースの活躍によってドライバーズとコンストラクターズの両タイトルを獲得しましたが、以来11年の歳月が経過していました。エンツォ・フェラーリにとってこれはあまりにも長い時間でした。1975年をきっかけに新たな時代が幕を開け、その後フェラーリが躍進を続けることとなったのです。

チャンピオンのラウダ

1975年の傑作