1959
1960

シリーズ開始

TTで5連勝

シリーズ開始
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246 P F1
Dino 246 S
400 Superamerica
250 GT 2+2
1961
シリーズ開始
1960シリーズ開始
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1960耐久レースでの活躍

シリーズ開始

TTで5連勝

エンツォ・フェラーリとスターリング・モスのタッグがF1で実現することはありませんでした。その試みはあったのですが、実現には至らなかったのです。1951年9月、モンツァでのフォーミュラ2 IVグランプリで、モスはアルベルト・アスカリ、ルイジ・ヴィロレージに次ぐ3位を獲得しました。

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ルイジの勧めにより、フェラーリはモスにある話を持ちかけます。それは、9月にバーリで行われるF1グランプリのノンタイトル戦に自社のシングルシーターで出場しないかというものでした。1952年の契約を前提としてのオファーだったのです。交渉は成立したかに見えましたが、誤解が生じたために失敗に終わってしまいました。それから10年後、1961年の終わりにフェラーリは再びモスに対してオファーをし、ロブ・ウォーカー・レーシングチームにはフォーミュラ1カーを、そしてスターリングの父、アルフレッド・モスが率いるブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ(BRP)には250 GTOを供給することで話しがまとまりました。しかし、準備が整った時、ロータスで参戦したグッドウッドでの大事故によって肝心のドライバーが引退を強いられてしまったのです。もしもタッグが実現していたらF1の歴史を変えていただけでなく、4度の2位獲得にとどまったモスに世界タイトルをもたらしていたかもしれません。 そうは言っても、モスは跳ね馬のマシンで15回レースに出場し、12回の勝利を挙げています。1960年と1961年には250 GT Berlinettaでロブ・ウォーカーから参戦してツーリスト・トロフィーで2勝を飾ると、その後はフェラーリとの契約に向けた準備が整ったものの、それが実を結ぶことはありませんでした。 モスが初めて跳ね馬のマシンでレースに参戦したのは1957年、バハマのナッソー・トロフィーでのことでした。彼はその時スクーデリア・テンプル・ビュエルから290 MMを駆って2勝を収めました。そして1958年、彼はルイジ・キネッテイがエントリーした335 Sでキューバ・グランプリを制しています。 グッドウッド・ツーリスト・トロフィーで初優勝を果たしたのは、1960年にロブ・ウォーカーから250 GT Berlinettaで参戦した時のことで、その後は、ブランズ・ハッチで開催されたレデックス・トロフィーでの勝利、そして再びナッソーでの勝利が続きました。

ツーリスト・トロフィーはイギリスで最も名誉あるレースであり、最強のイギリス人ドライバー達が集結しました。1960年の優勝は、マラネッロが1964年まで続けた5連覇という快挙の第一歩となりました。1961年、モスはウォーカーのマシンで再び参戦し、姉妹車のマイク・パークスをリードして勝利を獲得しています。 1962年のツーリスト・トロフィー開始時にはインズ・アイルランドに取って代わられ、結局は彼がレースの優勝者となています。そのレースはフェラーリが表彰台を独占するという記念すべきものになりました。アイルランドの250 GTOに続いてフィニッシュしたのはグラハム・ヒルとマイク・パークスがドライブするマシンです。ヒルとパークスの2人は、1963年のレースでもこの順でワンツーフィニッシュを決めています。 ヒルはその翌年も330 Pで出場し、プライベーターのデイビット・パイパーが駆るFerrari 250 LMを抑えて優勝を飾りました。 1964年のル・マン24時間レースでは、ヒルがヨアキム・ボニエとペアを組んで2位を獲得しています。優勝はジャン・ギシェ/ニーノ・ヴァッカレラ組、3位はジョン・サーティース/ロレンツォ・バンディーニ組であったことから、表彰台はフェラーリが独占することとなりました。マラネッロは見事にハットトリックを成し遂げたのです。 1960年と1961年にモスと一緒に優勝を飾った250 GT Berlinetta SWBは、跳ね馬の歴史において重要な1台となっています。1959年のパリモーターショーで披露されたこのマシンは、ピニンファリーナがデザインを担当し、カロッツェリア・スカリエッティの協力を得て組み立てられたもので、サーキットで勝てるロードカーの理想を完璧に具現化させたモデルでした。ディスクブレーキを標準で備えたフェラーリ初のロードカーであり、1952年から1963年にかけて登場した初期の250シリーズの中では最も有名なモデルのひとつに数えられます。この250シリーズは、ジョアッキーノ・コロンボが設計した、3,000 ccのV型12気筒エンジンを搭載するモデルです。

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1960 Masterpieces