1983
1984

フェラーリ初

初の限定スーパーカー

フェラーリ初
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GTO
Testarossa
126 C4
1984
フェラーリ初
1984フェラーリ初
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1984比類なき美しさ

フェラーリ初

初の限定スーパーカー

フェラーリには、かつてないほどの斬新な設計コンセプトと方法論によって創造された、後に「スーパーカー」の称号を冠されることになったモデルのラインが存在します。その始祖となる1980年代の象徴的な車輌をご紹介しましょう。その名もFerrari GTOです。

フェラーリ初

GTカーを対象とした新しい選手権をグループBのルールで開催するとFISA(国際自動車スポーツ連盟)が発表したことを受け、エンツォ・フェラーリはこの新たな挑戦に向けて熱意を示し、GTOの開発に取り掛かりました。このプロジェクトは、偉大なるデザイナーであるマウロ・フォルギエリの陣頭指揮によって進められました。彼は、高度な研究に専念する目的でフェラーリのGES(ゲスティオーネ・スポルティーバ)部門を離れると、手始めに308 GTBの駆動系に対してF1由来の驚くべきソリューションを取り入れています。 リアミッドシップのエンジンレイアウトといったスポーツカーならではのコンセプトと、当時の最先端技術を見事に融合させたことにより、GTOはあらゆる部分において究極の完成度を実現させました。事実、このGTOは、革新的な合成樹脂「ケブラー」をボディシェルに使用した初めての車です。同時に、F1由来の電子制御式燃料噴射システムを採用した初めてのプロダクションモデルでもあります。この燃料噴射システムを搭載したことで、V8エンジンの最高出力は400 cvにおよびました。さらにこのGTOは、グループBの規定に準拠させることもあり、排気量が2,855 ccへと縮小されています。そしてF1マシンと同様、エンジンには各バンクに、IHI製ターボチャージャーとインタークーラーがそれぞれ設けられました。GTOは、当時の他のプロダクションモデルがまったく追いつくことのできない、時速305 kmという驚愕的な最高速度を叩き出しています。F1と密接な関係があることから、1984年のシーズンに向けた対策として、フェラーリはルネ・アルヌーとミケーレ・アルボレートという、スクーデリアのドライバー2名を開発に取り込みました。実際のところ、エンツォ・フェラーリは、126 C4よりもGTOの開発の進捗により大きな関心を示すことが度々ありました。 FISAがグループBの廃止を決定したことで実際のレース参戦は実現しなかったものの、GTOは、GTレースで活躍したかつてのモデルと肩を並べるほどの仕上がりでした。また、この車はそのネーミングからも、跳ね馬の歴史の中で最も象徴的な1台である「250 GTO」を連想させます。 ピニンファリーナによるGTOのスタイリングは、「308 GTB」の各部のラインにインスパイアされただけでなく、「Millechiodi」として知られる308 GTB Specialeのエアロダイナミクスに関する研究結果にも影響を受けています。

ただし、迫力に満ちた各部のラインにはいちだんと磨きがかけられ、エアロダイナミクスに関する効率性が新たな次元へと引き上げられました。 GTOは、フェラーリの歴史において、まさしく初の限定生産モデルでもあります。計画されていた200台は、1984年のジュネーブモーターショーにおける発表を前に完売しました。この結果、72台の追加生産が決定しましたが、当然のごとく、それらもすぐに売れてしまいました。

フェラーリ初

1984年の傑作