1966
1967

伝説のゴール

デイトナで3台のフェラーリが表彰台独占

伝説のゴール
ポッドキャストを再生
Dino 206 GT
330 P4
312 F1-67
412 P
1968
伝説のゴール
1967伝説のゴール
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1967耐久レースでの活躍

伝説のゴール

デイトナで3台のフェラーリが表彰台独占

2月4日5日、2台の330 P4と1台の412 Pによる3台のフェラーリが、デイトナ24時間レースで1位から3位を独占1963年、フォードへのブランド売却を拒否したことがレースでの強烈な競争意識を生み出し、耐久レースはフェラーリとフォードが激しい戦いを繰り広げる場となりました。

伝説のゴール

1963年、1964年、および1965年のル・マン24時間レースでは、フェラーリが表彰台を独占したものの、1966年には、最もパワフルなフォード車マシンがル・マンを制します。こうした状況を背景に、この2社は1967年の国際マニュファクチャラーズ選手権(世界スポーツカー選手権を併催した2年間にあたる)における初戦のデイトナを次なる戦いの場とします。このときは、GTとプロトタイプの決勝が2本立てで行われています。 1965年の冬、マラネッロのチームは、フェラーリとフォードの間の差を埋めるための方策に懸命に取り組んでいました。そしてマウロ・フォルギエリによって新型330 P4が設計されると、P3モデルも次々にアップデートされて330 P3/ P4となりました。 後者のカスタマーバージョンについては、412 Pというモデル名が与えられています。これはプライベートチーム向けに造られたマシンであり、インジェクションシステムが通常のキャブレターに置き換えられているなど、戦略上重要になるコンポーネントをほとんど備えていませんでした。 330 P4は、ピニンファリーナとシュトゥットガルト工科大学の風洞で磨き抜いた自慢のエアロダイナミクスを特徴としていました。工科大学のあるドイツのシュトゥットガルトは、メルセデスとポルシェが本社を構える都市です。 路面をかすめるような低いノーズを持つP4は、先代モデルよりも空気抵抗が少なくなっただけでなく、より大きなダウンフォースが得られるようにもなりました。搭載されたエンジンは、スカルフィオッティがモンツァのイタリアGPで最後に勝利したときのV12エンジンでした。ツインカムシャフトと各気筒に3つのバルブを備えたこのエンジンは、排気量が4リッターで最高出力は450 hpです。サスペンションシステム同様、フェラーリ製のギアボックスも新たに設計されました。さらに、スクーデリア・フェラーリは、移動費が高額になるにもかかわらず、レースに対する準備のため、1966年12月のサーキットテストデーにデイトナを訪れるという判断を下します。サーキットデーにおける走りは前途を明るくするものでした。こうした中、エンツォ・フェラーリは、ジャーナリストのフランコ・リニをチームディレクターに任命します。有能で感じの良いリニは、国際レギュレーションの専門家でもありました。 レースは全てが思い通りに運び、フェラーリが表彰台を独占。そしてリニは素晴らしい名案を思いつきます。彼は、3位までを独占したフェラーリのドライバーたちに対し、デイトナ独特の傾斜のついたコース上を横に並んでフィニッシュするよう要求したのです。米国の通信社が撮影したこの時の写真は、世界中に広まって自動車史上最も有名な写真のひとつとなりました。優勝した際のフィニッシュの様子が世界の主要な新聞の一面を飾ったことで、フェラーリのライバルに対するリベンジは果たされたのです。不思議なことに、クリス・エイモンは、F1で1度も優勝することができなかったにもかかわらず、1966年にはフォードでル・マンの優勝を飾り、1967年にはフェラーリでデイトナの覇者となりました。

最終的には、バンディーニ/エイモン組の330 P3/P4(P3シャシーとP4エンジン)スパイダーが1位、パークス/スカルフィオッティ組が2位、ロドリゲス/ギシェ組によるルイジ・キネッティのNARTチームが3位を飾りました。その後バンディーニ/エイモン組はモンツァの1,000 kmレースでも成功を収め、シーズンの終わりにはフェラーリがマニュファクチャラーズ選手権のタイトルを獲得しています。

伝説のゴール

1967 Masterpieces