1947
1948

166 MMのデビュー

トリノモーターショーのバルケッタ

166 MMのデビュー
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166 MM
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各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1948伝説の誕生

166 MMのデビュー

トリノモーターショーのバルケッタ

フェラーリは、モーターショーにおいて初めて車を披露しました。トリノにおけるこのプレゼンテーションは、ある意味、夢を実現させた最高の瞬間でした。

166 MMのデビュー

ドライバー兼チームマネージャーで、レーシングマシンの設計・製造にも携わっていたエンツォ・フェラーリは、やがて自身の自動車会社を立ち上げ、華々しく開催された国際的なショーにおいて少量生産モデルを発表しました。 それが166 MMです。車名に含まれているMMは、ミッレミリアを表しています。同年の5月に開催されたこのレースでは、クレメンテ・ビオンデッティとジュゼッペ・ナヴォーネがアレマーノのボディを架装した166 Berlinettaで勝利を収めています。 もちろんこの166 MMは、歴史的な1台となる運命にありました。 それは、トリノで発表されたBarchettaボディの166MMが、モータースポーツで成功するために造られたことだけが理由ではなく、他に類を見ないまったく新しいタイプの車でもあったからです。Barchettaとは小舟の意味であり、当時この車を目にしたマスコミ陣が、その形状からこのようなニックネームを付けました。それ以降、Barchettaは、オープントップのスポーツプロトタイプモデルを示す言葉として用いられるようになったのです。

多くの期待がかかっていた166 MMは、フェラーリにとって非常に重要な存在でした。 速さと力強さを兼ね備える一方、そのソフトでシンプルなラインは、独自のエレガンスと上品さを演出していたと言えます。実際、マラネッロはこの166 MMを基にして将来的にどのようなロードカーを生み出していくかの青写真を描きました。この車が前例の無いモデルであることを、エンツォ・フェラーリは十分に理解していました。 そして万能なスポーツプロトタイプは、サーキット、市街地コース、ダートトラックなど、様々なシーンで勝利することができるという実力を証明しました。さらに、これらのモデルは、権威ある他の国際的イベントにおいても脚光を浴びつつありました。 そのひとつが、当時足場を固めつつあったコンクール・デレガンスです。このイベントは、新たな顧客に出会えるという点だけでなく、販売する車両に各オーナーのテイストや要望を反映させるという点においても、その重要性が高まりつつありました。 とりわけ車両のカスタマイズという点では、多くの個人ドライバーがレーシング仕様の166 MMを購入し、様々なレースへの出場を実現させています。また、裕福なドライバーの中にはオンロード仕様を選択し、エクステリアやキャビンに対するカスタマイズを楽しむ方々もいました。 そして世界中のモーターショーも、その重要性が次第に高まっていったことから、 フェラーリでは、世界的に最も重要なイベントで166 MMを発表したいと考えたのです。トリノは数多くの自動車メーカーやコーチビルダーの本拠地でもあったことから、こうした考えに至るのも不思議ではありません。

166 MM Touringにスーパーレッジェーラ構造のボディを架装するにあたり、フェラーリはミラノのコーチビルダーにボディの製造を依頼しました。このコーチビルダーが発明したスーパーレッジェーラ構造は、すでに航空機産業においてその真価を発揮しています。 特許を取得したその手法の中には、アルミニウム合金製のパネルを、小径のスチール製チューブで造ったフレームに直接固定するというものも含まれています。この手法によってシャシーとボディを均質に一体化させることができたため、優れた剛性が確保されるとともにシャシーの耐荷重性も安定し、後のモデルにも採用されることとなりました。 166 MMの明快でシンプルなフォルムは、優れたエアロダイナミクス性能を発揮することも証明されています。 低く構えたこの車は空車重量がわずか650kgでしたが、搭載されるV12エンジンは最高出力140 hpを発生、燃料タンクの容量は90リッターにおよんでいました。 トゥーリング・スーパーレッジェーラのボディを架装した166 MMは、わずか25台しか生産されませんでした。そのうちの1台をジャンニ・アニェッリが購入。これが彼にとって初めてのフェラーリとなりました。

1947年の傑作