1981
1982

無敵の308 GTB

トニャーナがイタリア・ラリーで優勝

無敵の308 GTB
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308 GTB Quattrovalvole
208 GTB Turbo
126 C2
308 GTS Quattrovalvole
1983
無敵の308 GTB
1982無敵の308 GTB
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1982比類なき美しさ

無敵の308 GTB

トニャーナがイタリア・ラリーで優勝

フェラーリは、世界中のサーキットで何千回もの優勝を飾り、モータースポーツの歴史に多くの足跡を残してきました。しかし、フェラーリがサンマルハチ308 グループフォーGr4によってラリーでも勝利しているという事実を誰もが知っているわけではありません。このタイプの競技車両を準備するという着想は1970年代末に生まれ、パドヴァにあるミケロットのワークショップが当時の最上級モデルに匹敵するマシンを造り上げました。

無敵の308 GTB

多数のイタリアチームからだけでなく、輸入業者のシャルル・ポッツィのおかげで常にアクティブに活動していたフェラーリ・フランスからも依頼を受けました。サンマルハチ308 ジーティービーGTBをベースにしたサンマルハチ308グループフォーGr4は、スチールの代わりにアルミニウムとグラスファイバーを構造部に使用することで軽量化を実現させています。1978年には、シャシーNo. ハチサンハチゼロ8380のモデルがパドヴァのワークショップから初めて出荷されました。1984年までに11台が生産される中、1台が英国の職人によって組み立てられています。このマシンは、ラファエレ・「レレ」・ピントとクラウディオ・ペナリオルによって、1979年のモンツァ・ラリーで初優勝を飾ります。その2年後、シャルル・ポッツィ・チームのジャン-クロード・アンドリューが、Ferrari サンマルハチ308グループフォーGr4を駆り、ツール・ド・フランス・オートモービルで1度目の優勝を飾りました。オールラウンダーのアンドリューは、1972年のル・マン24時間レースでもサンロクゴ365 ジーティービーGTB/フォー4で王座に就いています。ツール・ド・フランスではシャンタル・ブーシュタルがナビゲーターを務めました。アンドリューは1982年にも再び偉業を達成し、その年を308 Gr4にとっての素晴らしい1年にしています。コ・ドライバーは「ビッシュ」の異名で知られたミッシェル・エスピノジ-プチという女性でした。パイオニアがスポンサーになったことで、ボディカラーがレッドからブルーに変更されました。それがあまりにも美しかったことから、2016年にはひとりの顧客がフェラーリFerrari ヨンハチハチ488にこのカラーを指定しています。フェラーリのテーラーメイド部門が製作したこのマシンは、ツール・ド・フランス・オートモービルを現代に蘇らせたクラシックカー・ラリーの開幕日にグランパレで公開されました。 さらに、このサンマルハチ308グループフォーGr4は、1982年のイタリアラリー選手権において、ジョリークラブ・チームのトニーノ・トニャーナ/マッシモ・デ・アントーニ組にコンストラクターズタイトルとドライバーズタイトルをもたらしています。3月のタルガ・フローリオで優勝することによって幕を開けたこのシーズンは大激戦となりました。アンドリュー/「ビッシュ」組も2位でゴールしたことから、フェラーリがワンツーフィニッシュを飾っています。ラリー・デル・チョッコでもトニャーナ/デ・アントーニ組は再び勝利を獲得。コリーナ・ロマーニャでは、ランチアのファブリツィオ・タバトン/ルチアーノ・テデスキーニ組に次いで2位を獲得しました。 シーズン3回目の優勝は、ポルデノーネ県で9月に開催されたピアンカヴァッロ・ラリーでのことです。サンマルハチ308グループフォーGr4を駆るトニャーナ/デ・アントーニ組が、オペルのミキ・ビアシオン/ティツィアーノ・シヴィエーロ組とタルボのフェデリコ・オルメッツァーノ/クラウディオ・ベッロ組を破っています。

そして、世界選手権ラウンドのサンレモ・ラリーがそのすぐ後に続きます。フェラーリは総合首位とスペシャルステージNo.27の優勝を飾りました。トニャーナ/デ・アントーニ組がシーズン終盤の2レースにランチアゼロサンナナ037で出場。しかし、アオスタ・ラリーでニコラ・ブッセーニ/ダニエーレ・チョッカ組が2位でゴールしたことから、フェラーリのコンストラクターズタイトル獲得が決定的となりました。

1983年にもサンマルハチ308グループフォーGr4は多少の勝利を挙げましたが、もはや4輪駆動モデルの圧倒的なパワーには敵いませんでした。フェラーリがラリーを断念することはなく、1985年に向けたGTOの開発作業が始まりました。しかし、国際自動車連盟(FIA)によるレギュレーションの変更によって、この新たなプロジェクトは白紙に戻されたのです。

無敵の308 GTB

1982年の傑作