1978
1979

シェクター世界一

南アフリカの世界チャンピオン

シェクター世界一
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400 GTi
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1980
シェクター世界一
1979シェクター世界一
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1979ニキからジョディーへ

シェクター世界一

南アフリカの世界チャンピオン

シューマッハ時代が訪れるまで、彼はフェラーリでF1チャンピオンシップを獲得した最後のドライバーとなりました。ただ、1979年のタイトルがシーズン最後にジョディー・シェクターのもとに舞い込むまで、彼が本当に勝利するとは誰も考えていなかったはずです。この勝利が実現したのは、南アフリカ生まれのシェクターが何度も発揮した卓越したパフォーマンス、312 T4の優れた信頼性、そしてそのシーズンで多大な貢献を果たしたジル・ヴィルヌーヴの存在があってこそでしょう。

シェクター世界一

1月21日にアルゼンチンでシーズンが開幕すると、その2週間後にブラジルグランプリが開催されましたが、新しいマシンはレースに投入できるまで熟しきっておらず、ヴィルヌーヴと新たにチームに加わったシェクターはこれまでの312 T3で参戦しました。マリオ・アンドレッティとロニー・ピーターソンが鮮烈な印象を残し、誰もがロータスの圧勝を予想する中で、ジャック・ラフィットをエースドライバーに据えたリジェがシーズン最初の2レースで驚きの勝利を収め、首位に躍り出ました。 その1カ月後、F1チャンピオンシップはシェクターの本拠地キャラミに舞台を移し、フェラーリはその地で新しい312 T4を投入したのです。このキャラミでは、ジャン=ピエール・ジャブイーユがドライブするルノーのマシンがポールポジションを獲得したものの不調に陥り、ルネ・アルヌーもリタイアを強いられ、結果的にフェラーリのワンツーフィニッシュにつながりました。ヴィルヌーブはシェクターにわずか3秒差で勝利し、さらに続くロングビーチGPでの優勝によってチャンピョンシップの首位に立ちました。ヨーロッパでは、リジェがスペインで驚くべき結果を残した一方、シェクター自身は4位に甘んじ、さらにヴィルヌーブはポイントを獲得できずに終わりました。同じようなことがベルギーでも起こってシェクターが勝利し、ラフィットとともにランキングの首位に立ちました。シェクターは2週間後にモナコで勝利を上げたことでドライバーズランキングの上位に入り、フェラーリもコンストラクターズポイントのランキングで首位に躍り出ました。 7月1日に開催されたフランスGPの最終ラップでは、ヴィルヌーブとアルヌーがドライブするフェラーリとルノーのマシンが火花を散らし、その接戦はF1の歴史の中で最も輝かしいページのひとつとなっています。ジャブイーユが制したグランプリでは、最終的にフランスのコントラクターが初勝利を納めたものの、ポジションを何度も入れ替えながら、最後の1秒までホイールをぶつけ合うほどきわどい2位争いを続けるジルとルネの闘いは大きな注目を集めました。そして、最終的にこの非常にフェアな戦いで勝利したのはカナダ生まれのジルでした。

シェクターはここではポイントを獲得できなかったものの、イギリスGPとドイツGPの2戦で入賞を果たし、オランダでもウィリアムズのアラン・ジョーンズに続いて貴重な2位に入りました。一方のヴィルヌーブはオランダGPでスターの一人に返り咲きましたが、その後大きな不運に見舞われました。他のドライバーが誰も考えなかったような方法を駆使し、11周目のターザンカーブで外側からジョーンズを追い抜いたものの、その後タイヤが損傷し、リタイアを強いられるまで、常人では考えられない三輪走行でフルラップを走り抜けるファイトを見せました。シェクターは、ラフィットを8ポイント、ヴィルヌーブを10ポイント上回ったかたちで開催のイタリアGPを迎えました。ラフィットがシェクターを捉えるためには、その時点で少なくとも2位でフィニッシュしなくてはなりませんでした。このブリアンツァ地方にあるサーキットには、記念すべき1日の始まりに胸を高鳴らせたフェラーリファンが大挙して押し寄せ、熱い声援を送りました。前列はルノーが独占していましたが、シェクターはグリッドを最速で抜けて先頭に立ちました。アルヌーはすぐに首位に立ち返ったものの、13周目でエンジントラブルに見舞われ、観客席にはどよめきが起きました。さらに、8気筒フォードエンジンを搭載したラフィットがドライブするリジェも40周目でリタイアすることになり、フェラーリのファンは熱気で包まれました。 この段階で、残すところはわずか10周でした。シェクターがこのレースで勝利を収めれば、シーズンラスト2戦を残してワールドチャンピオンとなるのは確実で、ヴィルヌーブだけがその計画を狂わせる可能性を秘めていました。最終ラップ、チームメイトのシェクターに数秒の差まで迫ったヴィルヌーブでしたが、最後までシェクターの前に出ることなくレースを終えました。それは2人の友情と絆があってこそで、ヴィルヌーブはあえてシェクターにアタックしなかったのです。

シェクターこそタイトルにふさわしい、自分には別のチャンスがあるはずだ、ヴィルヌーブはそう考えていたのです。1975年にニキ・ラウダが初のワールドタイトルを獲得した時のように、フェラーリは緊密なフォーメーションでゴールを切ることになり、ティフォージは喜びで沸き立ちました。こうしてジョディー・シェクターはフェラーリ加入後初めてのシーズンでワールドチャンピオンを獲得することになったわけですが、これは1956年にファンジオが実現して以来の記録となりました。その後、2007年にこの記録をキミ・ライコネンが塗り替え、マラネッロでは新たな祝いの時を迎えることになりました。

シェクター世界一

1979年の傑作