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マルゾットのモナコ優勝

モナコで赤の初勝利

マルゾットのモナコ優勝
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225 S
340 Mexico
375 INDIANAPOLIS
250 S
1952
マルゾットのモナコ優勝
1952マルゾットのモナコ優勝
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1952初めての世界タイトル

マルゾットのモナコ優勝

モナコで赤の初勝利

モナコGPがF1だけを指しているわけではないということをご存じない方がいらっしゃるかもしれません。モナコGPがF1のシンボルの1つとなる前の1929~1952年頃には、他のカテゴリーやスポーツカーのレースも開催されていました。このモナコGPは、跳ね馬の歴史の中でも特別な意味をもっています。マラネッロで製作されたマシンが1952年6月2日に初めてモナコで勝利を飾ったためです。

マルゾットのモナコ優勝

優勝したのはヴィットリオ・マルゾットがドライブする225 S Spyder Vignaleで、そこに4台の225 Sが続き、そのドライバーはエウジェニオ・カステロッティ、アントニオ・スタニョーリ/クレメンテ・ビオンデッティ組、ジャン・ルカと「パニボン」の愛称を持つイタリア系フランス人のピエール・ボンコンパニでした。2リッター以上のスポーツカーのレース日程はミッレミリアとル・マン24時間レースの間に挟まれていたため、参戦しないドライバーがいた一方で、ル・マンに向けた準備として参戦したドライバーもいました。すべてのチームがこれら3戦に出場する予算を捻出できたわけではなかったからです。それでも、フェラーリ、ジャガー、アストンマーティン、ゴルディーニとタルボットラゴから直接サポートを受けた20台がエントリーし、フェラーリのマシンはマルゾットとグアスタッラのチームカラーをまといました。エントリーした4台の225 Sは2,715 ccのV12エンジンを搭載、最高出力は210 hpを発揮し、ボディはヴィニャーレ製のクローズドタイプ、またはオープンタイプでした。このほかにも、ドライバーのピエロ・カリーニのためには、パオロ・フォンターナ製の340 Americaが用意されました。

モナコGPの練習走行中、ルイジ・ファジオーリが事故に遭い、この怪我のため1ヶ月後に死去するという悲劇がありました。ファジオーリのマシンがトンネルの出口でスリップして壁に激突、ヘルメットのおかげで一命を取り留め、回復に向かったものの、3週間後に容態が急変し、54回目の誕生日を迎えた直後にこの世を去りました。さらにレース中も複数の事故が発生し、スターリング・モスをはじめとした数多くのドライバーが脱落しました。こうした中で、マルゾットは100周を終えてトップでフィニッシュラインを駆け抜け、タイムは3時間21分を記録、走行距離は314 kmにおよび、グランプリというよりも耐久レースの様相を呈しました。

マルゾットのモナコ優勝

マルゾットは兄弟4人ともレーシングドライバーで、ヴィットリオはその長男です。ヴィットリオは1948年から1955年までほぼフェラーリでレースに参戦、数々のレースで入賞し、1952年のジーロ・ディ・シチリアで優勝を果たしました。 ただ、ヴィットリオが最も名を上げたのはモナコでの勝利です。フェラーリがモナコの市街地サーキットで9回獲得した優勝の最初の1勝をヴィットリオが飾り、これにより彼の名がレースの歴史に刻まれました。

1952 Masterpieces