1989
1990

F1GP 100 勝

スクーデリアF1GP100 勝目を記録

F1GP 100 勝
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F1-90
1991
F1GP 100 勝
1990F1GP 100 勝
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各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1990継続的な革新

F1GP 100 勝

スクーデリアF1GP100 勝目を記録

1990年7月6日金曜日、ル・キャステレのポールリカール・サーキットにおいて、記念すべき20年目、そして本サーキット最後のF1フランスグランプリGPが開催されました。シーズン第7戦、マクラーレンのアイルトン・セナと、同シーズンからフェラーリへ移籍し、メキシコで勝利を挙げたばかりのアラン・プロストが、予想通りの激しいバトルをまたもや繰り広げました。プロストはライバルの故郷ブラジルで、セナは米国フェニックス、モナコ、そしてカナダで勝利していました。

F1GP 100 勝

さらに、ウィリアムズのリカルド・パトレーゼは、サンマリノで勝利を納めています。ポールリカールでのフェラーリは、メキシコシティの時と同様に圧倒的な強さを見せつけました。ナイジェル・マンセルがポールポジションを獲得した一方、プロストはパワフルなエンジンがフリー走行中にブローしたため、予選通過後は、決勝用にチューニングした別のエンジンでグリッドポジションを狙うことになりました。プロストは4番手で、かつてフェラーリを操ったゲルハルト・ベルガー、そしてセナの駆る2台のマクラーレンに続く位置でした。 レースではタイヤが最大の懸案事項とされ、レース終了までに2度のピットストップが必要になるのではと心配されていました。しかし、事前にあまりマークされなかったあるチームには秘策がありました。そのチームとはマーチを前身とするレイトンハウスです。このチームのマシンはレギュレーションを意識しすぎたものであったため、ドライバーのイヴァン・カペリとマウリシオ・グージェルミンが、メキシコで予選落ちを喫しています。27歳のデザイナー、エイドリアン・ニューウェイがフランスグランプリGPの直前にチームを去りましたが、彼はチームを離れる前、エアロダイナミクス性能に磨きをかけた、ル・キャステレのサーキットに最適なマシン「シージーキューマルイチCG901」を導入しました。他のチームが「1回のピットストップのみ」で完走しようとする中、レイトンハウスは驚きの戦略を用意していました。ピットストップなしで走り切ろうとしたのです。ベルガーはスタートでマンセルを追い越し、セナは3番手のままプロストの前を走ります。レース序盤は緩やかに流れたものの、タイヤ交換が差を生み出しました。カーナンバー1のフェラーリは26周目にピットインすると、7秒後にピットアウト。その直後、マクラーレンが30周目を超えても走り続ける一方、マンセルもピットストップしました。レースが進む中で、セナがベルガーをパスします。ベルガーは完璧とは言い難いピットストップのために12秒をロスしましたが、セナの16秒ロスに比較すると、大した問題ではありませんでした。フェラーリにとってすべては順調に事が運んでいるようでしたが、レイトンハウスの2台のマシンが最後までピットストップせずに走り切ろうとするのは、それはまったく思いも寄らないことでした。

その後、マンセルはリタイヤを強いられ、プロストはグージェルミンに追いつきはしても抜き去ることができずにいました。レイトンハウスの新しいエアロパッケージにより、この英国チームのマシンはコーナーからの立ち上がりがフェラーリを上回っていました。コーナーを抜けた後、フェラーリはホームストレートでアタックを仕掛けますが、ヴイジューニV12エンジンの圧倒的なパワーを活かすことができませんでした。

F1GP 100 勝

プロストはその後、長時間にわたってポジションを守り続けるグージェルミンをパス、徐々に前を行くカペリに肉迫する走りを見せたのです。全80周の60周目のこと、プロストならカぺリも簡単に捉えるだろうと思われましたが、その考えは誤りでした。カペリは自身のキャリアで最高のレースを披露したのです。この走りがひとつのきっかけとなり、1992年のシーズンにはフェラーリに移籍することとなりました。カぺリは必死に戦いましたが、残り3周のところでフェラーリに抜かれました。 プロストが、カペリとセナを抑えてトップでフィニッシュ。これがフェラーリの100勝目、プロストにとってはシーズン最初の連続勝利となり、その時点でセナをわずか3ポイント差で追いかけることとなりました。コンストラクターズランキングの首位はフェラーリで、83ポイントのマクラーレン 、79ポイントのロータス、そして43ポイントのウィリアムズがその後に続きました。ローマのオリンピック・スタジアムでは、わずか数時間後にサッカーワールドカップのドイツ対アルゼンチン戦が開始されることになっていましたが、イタリアのファンは、最も重要な試合で勝利したことで、すでに満足を味わっていたのです。

F1GP 100 勝

1990年の傑作