1971
1972

312 P全勝

世界スポーツカー選手権メーカータイトル

312 P全勝
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365 GT4 2+2
Dino 246 GTS
1972
312 P全勝
1972312 P全勝
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1972ニキからジョディーへ

312 P全勝

世界スポーツカー選手権メーカータイトル

1972年に世界メーカー選手権のルールが見直され、5リッターのスポーツカーを25台以上製造しなければならない時代は終わりを迎えました。新たなレギュレーションで排気量3リッターのグループ6が導入されたことを受け、マシンの開発に集中するために、フェラーリは512の開発を切り上げることを決定しました。フェラーリが1970年から開発に着手した312 Pは、1969年シーズン用の312 Pが元になっているマシンです。

312 P全勝

マウロ・フォルギエリが指揮するチームのメカニックたちがF1で使用されていたエンジンを徹底して改造し、排気量3,000 cc、最高出力460 cvを発揮する12気筒ボクサーエンジンを搭載していたため、このモデルは非公式で「312 PB」と呼ばれていました。 開発年の1971年に、このモデルは幸先良くキャラミ9時間耐久レースでワンツーフィニッシュを果たしました。クレイ・レガツォーニ/ブライアン・レッドマン組が1位でフィニッシュし、これにマリオ・アンドレッティ/ジャッキー・イクス組が続いたのです。1972年のシーズンもフェラーリは経験豊富で力のあるドライバーを起用し、3台のマシンをエントリーしました。キャラミ戦に出場した4人に加え、ロニー・ピーターソン、ティム・シェンケン、アルトゥーロ・メルツァリオがレギュラードライバーとなり、ラリーチャンピオンのサンドロ・ムナーリ、ヘルムート・マルコとカルロス・パーチェもいくつかのレースで参戦しました。1969年のヨーロピアン・マウンテン・チャンピオンシップの覇者であるペーター・シェティがこのプログラムのスポーツディレクターを務め、アルファロメオ、ポルシェ、マトラの打倒を目標に掲げ、クルーのメンバー入れ替えも躊躇なく行ったところ、フェラーリは10戦10勝という驚異的な勝率を残すことになりました。 フェラーリは出場レースにすべて優勝し、毎回2台のマシンのドライバーが表彰台に上りました。ワンツーフィニッシュを果たしたのは8回におよび、モンツァでは1位と3 位を獲得しました。この年のハイライトとなるのはオーストリアのツェルトヴェークで開催されたレースで、4台のフェラーリが1位から4位まで独占しました。こうした成績を受け、マラネッロは1972年の世界メーカー選手権のタイトルを獲得しました。アンドレッティ/イクス組が最多の4勝を挙げましたが、ベルギー出身のイクスはレガツォーニやレッドマンと組んでさらに2勝しました。レッドマンも2人目のパートナーであるメルツァリオともう1勝挙げ、メルツァリオはムナーリと共にタルガ・フローリオで優勝を飾りました。 このシチリアでの勝利は、まさに天才的な采配によってもたらされたものでした。フェラーリは専門外のラリーチャンピオンを起用するという策を取り入れ、その期待を受けたムナーリは(メルツァリオほど速くはなかったものの)このシチリアのロードレースとツェルトヴェーク1000 kmレースで底力を発揮しました(後にムナーリはこの経験をランチアのStratosの開発に活かしています)。

ピーターソンとシェンケンも2回優勝し、ドライバーとしての優れた資質とマシンの品質を証明しました。さらに、スクーデリア・フェラーリはイモラ500 kmでも優勝を果たしました。ノンチャンピオンシップ戦のこのレースで、メルツァリオがイクスを抑えて優勝し、これがフェラーリにとって1つのフィナーレとなりました。その後間もなく、F1チームに集中するためこのプログラムが終了したためです。

312 P全勝

1972 Masterpieces