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2回目のニキ

312 T2で2度目の世界タイトル

2回目のニキ
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2回目のニキ
19772回目のニキ
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1977ニキからジョディーへ

2回目のニキ

312 T2で2度目の世界タイトル

1976年のシーズンは、最終戦の日本グランプリでニキ・ラウダが豪雨により2周目でリタイアを決断したため、フェラーリにとっては後味の悪いシーズンとなりました。結果的にはマクラーレンのジェームス・ハントがその年のタイトルを獲得しています。ニキ・ラウダはニュルブルクリンクでの悲惨な事故から驚異的な早さで復帰を果たしたものの、タイトル獲得には至りませんでした。

2回目のニキ

1977年、ラウダは闘志を燃やしてシーズンを迎えたものの、アルゼンチンにおける開幕戦では、新参チームのウルフに所属する南アフリカ出身のドライバー、ジョディ・シェクターが優勝を獲得しています。続くブラジル戦では、跳ね馬のもう一人のドライバーでアルゼンチン出身のカルロス・ロイテマンが勝利を決めました。ラウダがシーズン初勝利を挙げたのは、トム・プライスが死亡するという痛ましい事故の発生した南アフリカグランプリです。この悲劇的な事故は、レンツォ・ゾルジのドライブするシャドウのマシンから炎が上がった時に、それを消そうとしたマーシャルが不用意にも突如コースを横切ってしまったことによるものです。トム・プライスは、そのマーシャルをはねてしまった際、マーシャルの持っていた重たい消火器があたって即死してしまったのです。不幸なことにこの事故が発生した直後、絶命したドライバーを乗せたマシンはそのままホームストレートを暴走すると、第一コーナーに向けて減速していたリジェのマシンに衝突しました。リジェのマシンをドライブしていたのはラフィットです。幸いにもラフィットは、この衝突を無傷で切り抜けることができました。そしてラウダもこの恐ろしい事故の影響を受けた1人です。プライスのマシンの破片でラジエーターが壊れ、水温の上昇によってエンジンが十分に機能しなくなった状態のまま、惰性でフィニッシュラインを越えなければならなかったのです。ロングビーチではロータスのマリオ・アンドレッティが勝利を収めましたが、ラウダもこのレース以降の4戦で2位を3度獲得したため、ポイントを順調に蓄積することができました。フランス戦を5位という控え目な結果で終えたものの、彼は選手権を支配し、その後もトップを守り切ります。改良を重ねた312 T2がほぼ完璧なマシンに仕上がったうえ、強い決意を持ったラウダもミスを犯すことがありませんでした。実際、カーナンバー11番のマシンは、1年前のニュルブルクリンクで起きた忌まわしい事故の思い出を払拭するかのようにドイツのホッケンハイムで優勝を飾ると、オランダ戦でも勝利を挙げました。そしてイギリス戦、オーストリア戦、イタリア戦ではいずれも2位を獲得しています。ラウダがモンツァで表彰台に上がったお陰で、コンストラクターズ選手権のトロフィーは、シーズン3戦を残したままフェラーリに贈られることが決まりました。このレースはイタリアの観客を大いに沸かせました。ロータスに乗ってはいても以前はフェラーリのドライバーだったマリオ・アンドレッティがトップを走っていたからです。その人気は、あと1ポイントを取ればドライバーズタイトルに手が届くラウダを凌ぐほどでした。

10月2日のワトキンス・グレンで開催されたレースは、激しい雨によりサーキットが危険な状態での難しいスタートとなりました。ラウダは慎重なレース運びを見せましたが、最終的にはそれが功を奏しました。レースを制したのは前年の世界チャンピオンであるマクラーレンのハントでしたが、ラウダが獲得した4位という順位は、そのイギリス人ドライバーを王座から引きずり下ろし、ドライバーズタイトルをオーストリアに戻すには十分な成績でした。しかし、ひとたびタイトル争いに決着がつくと、ラウダとエンツォ・フェラーリの考え方には大きなズレが生じるようになりました。勝利を獲得できたのは自分の力量によるところが大きいと感じたラウダは大幅な昇給を要求しましたが、フェラーリはそれを容認しませんでした。そしてレース開催の週末には確執が悪化し、最終的に2人の男は別々の道を歩むことになったのです。ラウダはカナダ入りしたものの、マシンにはモスポート・パークで勝利を収めるだけのポテンシャルが備わっていないと発言し、現地での予選にすら参加しようとしませんでした。その後、彼は荷物をまとめてオーストリアに戻り、真っ向からフェラーリに反抗して論争を引き起こしました。彼は、1977年のシーズンにおける自分の実力を訴えたのです。ラウダは、「2年後に私とフェラーリの立場がどうなっているか、いずれは分かることだ」と言い放ちました。それに反応したエンツォ・フェラーリは、ラウダの代役として1回だけグランプリに参戦した経歴を持つ無名のカナダ人をドライバーに起用しました。それがジル・ヴィルヌーヴです。

2回目のニキ

2年後、マラネッロのスクーデリアは、シェクターのドライバーズタイトル獲得のみならず、独特な走行スタイルで跳ね馬のティフォシを興奮させるヴィルヌーヴのシーズン2位獲得を祝うこととなりました。一方、ブラバムに移籍したラウダはマシンの性能が低いことに失望し、一度目の引退を表明することとなります。エンツォ・フェラーリがその個人的な賭けにも勝利したのです。

1977年の傑作