巨匠とTestarossa
スザンナ・レグレンツィ
モデナに住み、エンツォ・フェラーリとは隣人同士の関係であったものの、最も偉大なイタリア人写真家の一人であるフランコ・フォンタナは、彼の車を撮影する機会に一度も恵まれませんでした。しかし、ある日のちょっとした「出会い」からFerrari Testarossaの最も象徴的な1枚が生まれました。
1985年、リッチョーネ。アメリカの雑誌がフランコ・フォンタナに電話をし、Ferrari Testarossaをフィーチャーした写真の撮影を委託しました。現在85歳のフランコ・フォンタナは、イタリア屈指の有名な写真家です。エミリアロマーニャ地方に生まれた彼は、英語を習得してはいませんが、一般的に国際人として見られています。彼は、次のようなストーリーを話し始めました。「私は、自動車にはあまり興味がありませんでした。しかし、私たちのようにモデナに住んでいる人々にとって、Testarossaは、つねにある種の象徴だったのです。私がフェラーリのマーケティング・ディレクターに電話をすると、彼は車両とテスト・ドライバーを用意してくれました。
私たちは、リッチョーネのシーサイド・リゾートに向けて車を飛ばしました。その日、私はビーチハウスの前でTestarossaのスナップを丸一日かけて撮影しましたが、結果には満足できませんでした。日が暮れかけた頃、私たちがモデナに戻ろうとすると、私は海岸にボートヤードがあることに気付きました。私たちはビーチに車を止めました。ちょうど引き潮で、水面にはTestarossaが映っていました。しかし、私の満たされない気持ちは変わりません。ちょうどそのとき、まったく偶然のタイミングで、1匹の犬を連れた若者達が通りかかったのです。
その犬はダルメシアンでした。ダックスフントでも、ウルフハウンドでもない、体の白黒模様が背景の岩々と同じ色に見えるダルメシアンだったのです。私は、「これだ」と思いました。実際、私の勘は間違っていませんでした。長年にわたり、私はその犬についての多種多様なコメントを耳にしてきました。中には、あの犬は磁器だというのもあったほどです。私は自分の写真教室でこのイメージの展開について話をするときは、犬がいろいろな位置で写っている写真をいくつか見せます。前後、上下と…。これは、単に特定のエピソードを伝えようとしているのではなく、理解ができた瞬間に偶然が事実に変わるということを伝えようとしているのです」。
モデナに戻ると、フォンタナはフェラーリのマーケティング・ディレクターに現像した写真を渡しました。エンツォ・フェラーリはこの写真を大いに気に入り、これをリトグラフにするよう依頼したほどでした。フォンタナは50枚にサインをしました。こうして、その日にリッチョーネで撮影した写真は、Testarossaの最も象徴的な写真の1枚となったのです。フォンタナはドレイク(エンツォ・フェラーリ)に会ったのでしょうか? 「はい。モデナでは皆が知り合いです」と、フォンタナは話します。「自治体主催の盛大なディナー・イベントが想い出に残っています。彼はいつも時間通りに現れ、皆とおしゃべりし、水だけを飲んで、10時半になると丁寧に挨拶して帰っていったものです。かつて、彼は私の家具店を訪ねてくれたことがあります。1971年まで、私がモデナ初のデザイン・ショールームを経営していたからです。オフィスに置くソファーを探していた彼は、自分で店内を見て回っていましたが、選ぶ段になると秘書を呼び寄せました」。
フランコ・フォンタナと一緒に午後の時間を過ごしましたが、それはアナリストと過ごしたような時間でした。世界各地から収集した書籍、絵画、セラミックとクリスタルに囲まれた部屋で大きなテーブルを挟んだ彼との会話は、フロイト派の精神分析医ではなく、禅僧と話しているような感じでした。そのテーブルの上には、モデナを出発点と終了点として五大陸を渡り歩くという熱狂的な旅を綴った自叙伝や、1964年にポピュラー・フォトグラフィー誌によって出版された最初のポートフォリオ、さらには、Vogue America誌のためのファッション写真や、運輸からレジャー業界までの大手ブランドに対するキャンペーン広告などが置かれていました。彼は、パリのヨーロッパ写真美術館における展示から、モデナ・ビジュアルアート財団基金における最新の個展「フランコ・フォンタナ・シンテスティ」(フランコ・フォンタナによる合成の世界)にいたるまで、カラーの巨匠に対するオマージュとして、400を超える展覧会を開いています。フランコ・フォンタナは、フランクフルトの建設現場をパウル・クレーの絵画に様変わりさせ、フロリダビーチを原型的な場所に変え、ニューヨークの建造物のディテールを抽象的な断片にしたりすることができます。その秘密とは?
「見える物ではなく、自分が思考した物を撮影しなければなりません。指ではなく、心でスナップショットを撮るのです。風景がどれほど完璧であっても、写真家が本能的直感を使うまで、写真は沈黙を保ちます。芸術写真は、絵はがきではありません。芸術家は、世界を創造してこそ芸術家たり得るのです」と、彼は話します。