フェラーリ最初のレーシングヒーロー
文:ジェイソン・バーロウ
フランコ・コルテーゼの名前は、モータースポーツの歴史に登場することはあまりありません。しかし、フェラーリの歴史において、コルテーゼは決して外すことができない名前です。
これまでフェラーリには、モーターレースの歴史にその名を刻む、多くのビッグネーム・ドライバーが関わってきました。しかし、フェラーリ最初のレーシングヒーローを名乗ることができるのは、フェラーリが創立して最初の勝利を記録した、フランコ・コルテーゼ、ただひとりだけです。
フェラーリ創立70周年の節目となる今年は、再びフランコ・コルテーゼが脚光を浴びる時です。コルテーゼの名前は、アスカリ、ホーソン、コリンズ、ヒル、サーティースなどのフェラーリの歴史の初期に名を馳せたグレート・ドライバー達のように、頻繁に目にすることはありません。しかし彼は、創立して間もないフェラーリの黎明期に活躍しただけではなく、戦前から戦後にかけて、才気あふれるジェントルマン・ドライバーとして知られた人物なのです。
グレート・ドライバー以上と言ってもいいでしょう。卓越したレース歴を誇る彼の場合には。1903年にミラノ近郊の街、オッジェッビオで生まれたコルテーゼは、1926年から1958年まで40年弱もの長いキャリアにおいて、非常に広範なカテゴリーでレースを戦ってきたことからも、彼に匹敵するドライバーはそうそう見当たりません。
1927年、イターラの車輌で出場した第1回 ミッレ・ミリアをはじめ、彼は極限までドライバーを追い詰める過酷なロードレースで14回完走しています。この記録は将来も破られることはないでしょう。(1940年にBMWでの参戦は含まれません。コルテーゼはリタイアに終わりましたが、この年のBMWの勝利は、オリジナル版ミッレ・ミリア全24大会でイタリア国籍以外のドライバーが勝利したわずか3回のうちの1回でした)
当時のモータースポーツ創成期において、コルテーゼは数え切れないくらいのアルファロメオでレースに出場しており、1932年のル・マン 24時間レースでは2位を記録しました。翌年のフランス耐久レースでは、偉大なるタツィオ・ヌヴォラーリやルイ・シロンとともに出場しています。
スクーデリア・フェラーリがアルファロメオのサテライトチームとしてレースに参戦していた1930年代、彼はエンツォ・フェラーリと出会いました。チームは1935年のミッレ・ミリアで勝利を飾っています。その年、コルテーゼとフランチェスコ・セベリは、チームが3台用意した輝かしい アルファロメオ 6C 2300B 「Pescara」車の2台目に乗り、8位でフィニッシュしました。
1937年、コルテーゼは、ジョバンニ・ルラーニをはじめ、ルイジ・ヴィロレージなどのドライバー仲間とともにスクーデリア・アンブロジアーナを設立しました。このネーミングは、 ミラノの守護神であるAmbrose(アンブローズ)に敬意を表したものです。また、青と黒のロゴは、ミラノのサッカー・チーム、インテルナツィオナーレ・ミラノをオマージュしています。チームは主にマセラティ 6CM で数多くの成功を収めました。戦争が始まるまでは……。
出会いはいつでも運命的です。戦時中、マラネッロで工作機械を製造していたフェラーリは、とりわけコルテーゼに販売許可を与えていました。しかし、フェラーリがコルテーゼのドライバーとしての才能を見出したのは、1947 年にカイロで開催された一度限りのセハブ・アルマスベイ・トロフィーでコルテーゼがアルベルト・アスカーリとピエロ・タルッフィを抑え、勝利した時でした。
1946年12月5日、エンツォは翌年の目標を綴った手紙を彼に送り、1947年4月7日、125 S のデビューから 3週間後に契約を結び、2台のフェラーリが5月11日、ピアチェンツァでレース・デビューしました。
コルテーゼは 01C、ニーノ(ジュゼッペ・ファリーナ)は 02Cのステアリングを握りました。ファリーナは車に不満を言いましたが、エンツォは125 S の車輌交換を拒み、ファリーナはスタートで出遅れました。コルテーゼはダッシュを決め、安定してトップを周回しましたが、燃料ポンプのトラブルでリタイアに終わりました。この時の「幸先の良い失敗だ」というエンツォ・フェラーリの言葉は有名です。
エンツォの言葉どおり、次のレースには幸運がもたらされました。5月25日、フランコ・コルテーゼはローマ・グランプリに向けてカラカラ浴場の周辺道路でプラクティスに励んでいました。この時はまだ、彼がいかにその後重要となるレースをするか、知る由もありませんでした。迎えた決勝でコルテーゼは40周、総レース距離 137.6㎞ を平均速度 88.5km/hで周回を重ね、フェラーリに最初の優勝をもたらしたのです。
その後コルテーゼは好調を維持し、3連勝を果たします。実際、フェラーリはデビュー・イヤーに17台の車輌で 14のレースに参加し、総合優勝もしくはクラス優勝が7、2位 4 回という輝かしい戦績を残しました。その後のフェラーリの活躍はレースの歴史が物語るとおりです。
一方コルテーゼも精力的にレースに参戦し、1951年のタルガ・フローリオでの輝かしい優勝を含め、数々の勝利を手にしました。また、イタリア国内 2.0リッター・スポーツカー選手権でもフェラーリ 500 TR で優勝しています。残念ながらコルテーゼは、1986年に83歳でこの世を去りました。