フェラーリはフロント・エンジンのマシンによるF1最終戦をどのように制したのか
Richard Aucock
あの有名なFerrari 246 F1は、スクーデリアの手掛けた最後のフロント・エンジン・モデルでした
現代のF1エンジンは、エンジニアリングの傑作です。1.6リッターV6ターボ・エンジンと先進のハイブリッドシステムの組み合わせにより、以前のF1エンジンよりも30%少ない燃料で1,000 PS以上の出力を生み出すとされています。このテクノロジーは、今後のロード・カーを、より効率的かつ高性能な車両に仕立て上げていくことにも役立っています。
フェラーリは、F1にV6エンジンを投入した最初のチームでした。最新のV6エンジンと同様、その導入はテクニカル・レギュレーションの変更を受けてのものでした。1958年当時、F1マシンは規約によって航空機の燃料(AvGas)を使用することが求められていたほか、 エンジンの排気量も、2.5リッターに制限されていました。他のコンストラクターらが既存のエンジンを新レギュレーションに適合させるのに苦労する中、フェラーリはまったく新しいエンジン(コードネーム155)を設計し、これを1台のマシンに搭載しました。そのマシンとは、のちにF1の歴史に名を残すこととなる 246 F1です。
2.4リッターの6気筒エンジンを搭載していることに因んで名付けられた246 F1は、F1初のV6エンジン・モデルとしてだけではなく、F1で優勝した最後のフロント・エンジン・モデルとしても記録されています。この時代、F1マシンは、ドライバーの前にエンジンをが配置する伝統的なエンジン・レイアウトから、 ドライバーとリヤホイールの中間にエンジンを搭載するミッド・エンジン・レイアウトへの移行が進んでいました。そして、これらの車は、ミッド・エンジン・モデルとして知られるようになります。
フェラーリは、独自のミッド・エンジン・モデルを開発していましたが、 1960年までは、246Pが積極的にレースに投入されました。「P」はプロトタイプであることを表すものであり、移行期に誕生したこのフェラーリ・モデルは、同年のモナコGPとイタリアGPの2戦に参戦しています。このマシンをきっかけに、かの有名なFerrari 156が誕生し、アメリカ人ドライバーのフィル・ヒルが1961年にドライバーズ・ワールド・チャンピオンシップを制するに至ります。しかし、1960年の時点において、スクーデリア・チームの意識は246に集中していました。
このモデルは、英国のマイク・ホーソーンを1958年にドライバーズ・ワールド・チャンピオンへと導いたマシンです。その翌年はF1の移行期であり、全9戦に縮小されての開催でしたが、英国のトニー・ブルックスがフランス戦とドイツ戦においてフェラーリで優勝を果たしています。2.5リッターのマシンに関するF1レギュレーションについては1960年が最後の適用年度となり、グリッドに並んだ変革期のF1マシンには多種多様な技術が投入されていました。この頃まではミッド・エンジンが大半を占めるようになっていて、卓越したハンドリング性能をもたらすことから、速さの面において明確なアドバンテージを見せつけていました。
それでもフェラーリは果敢に戦い続け、V6エンジン(155)が美しいサウンドを奏でながら生み出す圧倒的なパワーを拠り所としてポイントを重ねていったのです。その年のイタリアGPは、ミラノ近郊のモンツァ・サーキットで開催されました。この超高速サーキットは最もパワフルな車両に向いていたことから、フェラーリの独壇場となりました。フィル・ヒルがポール・ポジションを獲得するとともに最速ラップを記録し、レースを制します。まさしく、フロント・エンジン・モデルの最後の優勝に相応しい、F1での完全勝利でした。
大きな変化の時期、フェラーリは未来を見つめながらも、現状から目をそむけることがありませんでした。ミッド・エンジン・モデルが研ぎ澄まされていく中、ドライバーが誇りを持って走らせられるマシンとなるよう、246 F1を仕立て上げたのです。歴史を記した書物を見ると、246 F1については、ミッド・エンジン・モデルがマラネッロに勝利をもたらすようになる前の時代に、フロント・エンジン時代の終焉を見届けたF1マシンであると記録されています。今日における最新のF1エンジンも、このような勝利の伝説に端を発するものだと言えます。