生まれ変わった250 GT Berlinetta TdF

26 3月 2018

1年以上の時間を掛けて、フェラーリ・クラシケ・ワークショップで新しい宝石が生み出されました。25年以上にわたり著名なコレクターが保有してきた250 GT Berlinetta Tour de Franceで、彼は、このマシンを1958年にマラネッロから出荷されたときのコンディションに戻すことを決心しました。

アメリカンカー。この250 GT Berlinetta TdFの歴史はアメリカ、正確にはカリフォルニアで始まりました。ディーラーの共有ストックの1台として、アメリカに輸出されました。1958年後半にミネソタの名士でありドライバーでもあるラッセル・カウルズがハリウッドで購入し、彼はこのマシンでニューメキシコ州、テキサス州、アリゾナ州で様々なクラブ・レースに出場しました。カウルズはシーズン終盤により高いレベルに上がることを決心し、250 GT Berlinetta TdFはフェニックスでの3度の優勝、そしてプレーンズにおける1度の優勝によってその決意が証明されました。

売却。その年の終わりにカウルズはカリフォルニアへ戻り、250 GT Berlinetta TdFから、世界中のクローズド・ホイール・レースを圧巻していた250 Testa Rossaに乗り換えました。ベルリネッタは、その後数回にわたりオーナーが変わり、中にはアメリカ史上最速のドライバーの一人であり、ジョン・ヴォン・ニューマンを親に持つジョシー・ヴォン・ニューマンもいます。ジョン・ヴォン・ニューマンは、西海岸におけるフェラーリの販売エージェントでありエンツォ・フェラーリの友人でもありました。1964年にカーター・フェルプスがステアリングを握ったサンタ・バーバラが最後に、このマシンはレース・キャリアを閉じました。

カラー・チェンジ。それ以降、250 GT Berlinetta TdFは長年にわたってアメリカのコレクターの手元にありましたが、1989年に再び売却されました。その直後にレストアが行われて、ブルー・オブ・フランスとブラックにペイントが施されました。4年後にフェラーリのエンスージアストであり、日本で数々のイベントを開催してきた現在のオーナー 平松潤一郎氏のもとへ届けられました。

2段階レストア。フェラーリ・クラシケはエンジンをオリジナルの状態へ戻すレストアを完了しました。その後、イタリアやヨーロッパでのイベントに参加するための一時中断を経て、5月に開催されるCavalcade Classicheの翌日に、フル・レストアを完成すべくマラネッロに残されました。そして、マシンはチャイニーズ・レッドのボディ・カラーと、ベージュのインテリア・カラーを有する原来の状態に戻りました。その後、1年未満の間に日本のオーナーの元に戻されました。