企業都市の進化
ジャンニ・ビオンディッロ
フェラーリのマラネッロ本社は、世界的な建築家によって設計された、個性豊かな、ときに対照的なスタイルの建物が特徴です。私たちは、このイタリア流「企業都市」が唯一無二のものである点について、その理由を探りました。
多くの人々にとって、フェラーリの工場があるマラネッロは伝統ある「企業都市」の一つです。しかし、その関連付けは正しいのでしょうか?
企業都市というコンセプトは産業革命の産物であり、見識の高い起業家たちの「そこに住み、そこで働く人々のニーズに合った定住地を作りたい」という思いから生まれました。そうして誕生した定住地は、自給自足の自立した村が集まったものであり、住宅、サービス、学校、礼拝所、さらには娯楽までを人々に提供しつつ、工場を中心に回っていました。見識の高い経営者たちが定住地に関してそのようなビジョンを抱いたのは、労働者の生活の質を向上させることで製品の品質が向上することを知っていたからです。
これには、数々の歴史的な例があります。最も有名なのは、スコットランドのニュー・ラナーク(現在はユネスコ世界遺産)や、イングランド北部のヨークシャーのサルテールなど、産業革命が始まった場所です。そこでは、繊維工場の労働者たちに対して、病院、コンサートホール、図書館などが提供されていました。ドイツ、スペイン、フランス、イタリアでもこのような村が作られていますが、最も有名な例は、1995年にユネスコ世界遺産に登録されたロンバルディア州のクレスピ・ダッダです。
このような例と比較した場合、マラネッロは「工場都市」と考えられるでしょうか?「工場都市」と考えるのは現実的ではありません。フェラーリの生産施設である「フェラーリ村」は、1つの村からではなく、1本の道から生まれました。そのような誕生の仕方はこの施設にとって必然だったのです。世界で最も有名なこの自動車都市は、はたして道沿い以外の場所で誕生できたでしょうか?
1943年、フェラーリの工場が、マラネッロに建設されます。それ以前、エンツォ・フェラーリはモデナに自身の機械製造工場を構えていました。マラネッロから北東に15 kmほど離れたところにあり、古代の最も重要な執政官街道の一つ『エミリア街道』に面した工場です。フェラーリが生産量を増やすために工場を拡張すると決めた際、彼は当初、マラネッロのすぐ隣にあるフォルミージネを候補地として検討しました。しかし、地元の行政が彼の申請を拒否したため、彼はマラネッロを選んだのです。
このときも、ジャルディーニ通りという、道に近い場所が選ばれました。この通りは、かつてフランチェスコ3世・デステがモデナの街とトスカーナ地方を結ぶために設けた道です。しかし、フェラーリは、伝統的な意味での企業都市を作ろうとしたわけではありませんでした。建築学的な面で他をリードしていた跳ね馬の優れた産業「村」、そして、数世紀の歴史を誇る居住地のほかに教会や城までもがあった都市、この両者が何十年にもわたって足並みを揃えるように発展していったのです。
マラネッロを訪れる人々がフェラーリ博物館に行くことを目的としているのは確かですが、そうした方々が何よりも望んでいるのは「フェラーリ村」を垣間見ることです。特に若いデザイナーらは、この場所に興味を抱いています。近年竣工した新しい建築物に惹かれているのです。レンツォ・ピアーノが設計した風洞のほか、メカニックのワークショップ、絵画展示館、社員食堂(すべてマルコ・ヴィスコンティのプロジェクト)、そして、ルイジ・ストゥルーキオの設計による新たなスポーツ物流ビル、さらには、ジャン・ヌーヴェルが手掛けた新たな組み立てライン棟や、マッシミリアーノ・フクサスによる新たな製品開発センターなどがあります。
長い年月をかけ、さまざまなイマジネーションの下でフェラーリ村とマラネッロは一体になりました。この都市の名前を聞けば、誰でもすぐにフェラーリを連想し、都市と工場を混同してしまうことがあるほどです。しかし、フェラーリが有名な建築家を使用するのは、Facebookがフランク・ゲーリーにキャンパスの設計を依頼したり、アップルがノーマン・フォスターにクパチーノ本社の「宇宙船」新社屋について設計を任せたりしたのとは異なります。他社が採用している最近のモデルを模していると考えるのは間違いです。
「チッタデラ・フェラーリ」と呼ばれるものは、これらの例のように、周囲を囲っていたり、周囲のもから「遮蔽」したりするようなことはしていません。また、すべてのものから遠く離れているわけでもありません。実際、工場の外を散歩するだけで、跳ね馬とその「ホーム」がどれほど相互に結びついているかを実感することができます。かつては、フェラーリの歴史ある本社を訪問すること以外、訪問者ができるのはリストランテ・カヴァリーノ(エンツォ・フェラーリが食事をしていた場所)で食事をすることくらいでした。今日、マラネッロを散策していると、他にもたくさんのレストランがあり、運が良ければフェラーリのレーサーやメカニックに出くわすかもしれません。