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マスターピース

フェラーリの象徴、250 GTO のデビュー

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330 LM
268 SP
286 SP
250 GTO
1963
マスターピース
1962マスターピース
1962耐久レースでの活躍

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フェラーリの象徴、250 GTO のデビュー
2月24日 – 1962年から1964年にかけて国際マニュファクチャラーズ選手権を制したFerrari 250 GTOが登場。1962年、フェラーリブランドの本質を追求したかつてない1台が誕生しました。それが250 GTOです。
このマシンは、来たるシーズンのためのスポーツプログラムを発表する記者会見において正式に公開されました。実際、最初の試験モデルについては、前年の8月にジャンカルロ・バゲッティがモンツァにて、そしてイタリアGPのテスト走行前となる9月にはウィリー・メレスとスターリング・モスがサーキット走行を行っています。 250 GTOは、フェラーリのフィロソフィーを完璧なまでに反映させた、素晴らしいパフォーマンスとデザインを誇るマシンです。完成度の高いツアラーであっただけではなく、公道走行が可能な真のレーシングカーでもありました。 しなやかさとアグレッシブさを兼ね備えたラインが特徴的で、フェラーリのアイコンとして今日まで人々を魅了し続けてきたほか、歴代モデルの中で最も美しい1台として多くの人に評価されています。 レースで勝利するための要素をすべて身に付けた250 GTOは、現時点において、世界で最も価値のあるクラシックカーです。現在の評価額は3,000万ユーロですが、今後もその額は上昇していくことでしょう。 この車両は、世界スポーツカー選手権での勝利を目的に、才気あふれるジョット・ビッザリーニが250 GT SWBをベースにデザインしたものです。同選手権は1962年に”GT”を付けた名称に改名され、複数のカテゴリーが設けられました。モデル名含まれるOの文字は 「Omologata」(承認)を意味していますが、その生産台数は承認基準となる100台に達していません。実際に生産されたのは、36台と4,000 ccエンジンを搭載した3台のみです。
ビッザリーニはエアロダイナミクスを重視したことから、風洞実験を通じて車両のラインを「造形」しました。しかし、1961年の年末にエンツォ・フェラーリが経営の中枢を刷新すると決断したことから、その一角を担っていたリヴォルノ出身のビッザリーニは、1962年の発表に立ち会うことはありませんでした。車両の開発に関する責任と承認は、その後、マウロ・フォルギエリによって受け継がれています。 セルジオ・スカリエッティは、フレーム上に露出した金属部分を設計図に頼ることなくひとつずつ成形することでボティを仕上げました。 250 GTOは、世界中のサーキットにおけるレースや、「ツール・ド・フランス・オートモービル」などの有名なロードレースにおいて素晴らしい評価を獲得しています。 1962年から1964年にかけての世界選手権で、マラネッロに3つのタイトルをもたらし、他の一流レースでも数々の勝利を納めてきました。 スポーツカーやF1が、アクスル上にエンジンを配置するミッドシップレイアウトを採用するようになった中で、シーズン初期の時点では、ジョアッキーノ・コロンボの設計した、最高出力300 cvの3.0リッターV12エンジンを搭載するこのマシンが唯一のフロント・エンジンモデルでした。 セブリング12時間でのデビュー前には、リヤスポイラーが追加されました。このレースでは、オリヴィエ・ジャンドビアンとフィル・ヒルが250 GTOを駆り、ヨアキム・ボニエとルシアン・ビアンキが搭乗したFerrari 250 Testa Rossaに続き、総合2位を獲得したほか、GTカテゴリーでは1位を手にしています。 250 GTOはレーシングモデルでありながら、クラシックなレッドだけでなく、異なるカラーリングのマシンも数多く存在することから、芸術作品でもあることをご覧いただけます。

1962 Masterpieces

196 SP
330 LM
268 SP
286 SP
250 GT Berlinetta Lusso
248 SP
250 GTO
00:00
1962耐久レースでの活躍

マスターピース

フェラーリの象徴、250 GTO のデビュー

2月24日 – 1962年から1964年にかけて国際マニュファクチャラーズ選手権を制したFerrari 250 GTOが登場。1962年、フェラーリブランドの本質を追求したかつてない1台が誕生しました。それが250 GTOです。

マスターピース

このマシンは、来たるシーズンのためのスポーツプログラムを発表する記者会見において正式に公開されました。実際、最初の試験モデルについては、前年の8月にジャンカルロ・バゲッティがモンツァにて、そしてイタリアGPのテスト走行前となる9月にはウィリー・メレスとスターリング・モスがサーキット走行を行っています。 250 GTOは、フェラーリのフィロソフィーを完璧なまでに反映させた、素晴らしいパフォーマンスとデザインを誇るマシンです。完成度の高いツアラーであっただけではなく、公道走行が可能な真のレーシングカーでもありました。 しなやかさとアグレッシブさを兼ね備えたラインが特徴的で、フェラーリのアイコンとして今日まで人々を魅了し続けてきたほか、歴代モデルの中で最も美しい1台として多くの人に評価されています。 レースで勝利するための要素をすべて身に付けた250 GTOは、現時点において、世界で最も価値のあるクラシックカーです。現在の評価額は3,000万ユーロですが、今後もその額は上昇していくことでしょう。 この車両は、世界スポーツカー選手権での勝利を目的に、才気あふれるジョット・ビッザリーニが250 GT SWBをベースにデザインしたものです。同選手権は1962年に”GT”を付けた名称に改名され、複数のカテゴリーが設けられました。モデル名含まれるOの文字は 「Omologata」(承認)を意味していますが、その生産台数は承認基準となる100台に達していません。実際に生産されたのは、36台と4,000 ccエンジンを搭載した3台のみです。

ビッザリーニはエアロダイナミクスを重視したことから、風洞実験を通じて車両のラインを「造形」しました。しかし、1961年の年末にエンツォ・フェラーリが経営の中枢を刷新すると決断したことから、その一角を担っていたリヴォルノ出身のビッザリーニは、1962年の発表に立ち会うことはありませんでした。車両の開発に関する責任と承認は、その後、マウロ・フォルギエリによって受け継がれています。 セルジオ・スカリエッティは、フレーム上に露出した金属部分を設計図に頼ることなくひとつずつ成形することでボティを仕上げました。 250 GTOは、世界中のサーキットにおけるレースや、「ツール・ド・フランス・オートモービル」などの有名なロードレースにおいて素晴らしい評価を獲得しています。 1962年から1964年にかけての世界選手権で、マラネッロに3つのタイトルをもたらし、他の一流レースでも数々の勝利を納めてきました。 スポーツカーやF1が、アクスル上にエンジンを配置するミッドシップレイアウトを採用するようになった中で、シーズン初期の時点では、ジョアッキーノ・コロンボの設計した、最高出力300 cvの3.0リッターV12エンジンを搭載するこのマシンが唯一のフロント・エンジンモデルでした。 セブリング12時間でのデビュー前には、リヤスポイラーが追加されました。このレースでは、オリヴィエ・ジャンドビアンとフィル・ヒルが250 GTOを駆り、ヨアキム・ボニエとルシアン・ビアンキが搭乗したFerrari 250 Testa Rossaに続き、総合2位を獲得したほか、GTカテゴリーでは1位を手にしています。 250 GTOはレーシングモデルでありながら、クラシックなレッドだけでなく、異なるカラーリングのマシンも数多く存在することから、芸術作品でもあることをご覧いただけます。

1962 Masterpieces