1947

初勝利

ローマGPの125 S

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1990

2001

19962

2015

488 GTE

  • EngineTwin Turbo V8 90°
  • Total Displacement3996 cc
  • Maximum powerAround 600 nm @ 6000 rpm
  • Weight1245 Kg
00:00
各種の瞬間ガレージ
1947
1947初勝利
1948166 MMのデビュー
1949ル・マン勝利
1950
1950赤のミッレミリア
1950F1デビュー
1951F1初勝利
1952マルゾットのモナコ優勝
1952アスカリの勝利
1953スポーツカー選手権
1954最後のパンアメリカン
1954パリのクイーン
1955クーペのレディ
1956チャンピオンファンジオ
1957CALIFORNIA DREAMING
1957最後のミッレミリア
1958優美なチャンピオン
1959米国に挑む
1960
1960シリーズ開始
1961赤の独占
1962マスターピース
1963ル・マン、イタリア
19642つの世界のヒーロー
1965タルガで勝利
1966至宝の365 P
1967伝説のゴール
1968勝利への賛辞
1968アルゼンチンタンゴ
1969タスマニアのディーノ
1969ヨーロッパのマスターズ
1969新しいパートナー
1970
1970512 Sの奇跡
1971365 GT4 BB
1972312 P全勝
1972ホームサーキット
1973DINO 308 GT4が到着
197450回目の熱狂
1975チャンピオンのラウダ
1975初回
1976見事なオートマチック
19772回目のニキ
1978故郷で才能開花
1979シェクター世界一
1980
19808気筒エンジンを搭載した4シーター
1981モナコでターボが優勝
1982無敵の308 GTB
1983オープエアの楽しみ
1984フェラーリ初
1984スタイルの傑作
1985328、最後の舞台
1986米国の脅威
1987エンツォの夢
1988別れの日
1989マンセルのギア
1990
1990F1GP 100 勝
1991アイコンの進化
1992クラシックGT
1993クライアント専用
1994究極の洗練
1995F1ロードカー
1996シューマッハ初
1997革命的なギアボックス
1998スピード・フォルム
1999頂点に復帰
2000
200021年後
20012回目の世界タイトル
2002創業者への敬意
2003追悼アニエッリ
2004制止不能
2005SUPERAMERICAの魔術
2006エクスクルーシブXXプログラム
2007キミ、逆転王者
2008再びチャンピオン
2009ベンチマーク・カー
2010
2010赤のファン
2011全天候型FF
2012性能とデザイン
2013究極の革新
2014究極
2015未来に向かって
201670周年の象徴
2016株式市場の上場
2017祝!70周年
2018セルジオとの別れ
2019異なるオーナーには異なるフェラーリを
2020
2020優れた回復力を発揮するブランド
2021大きな変化の年
1947伝説の誕生

初勝利

ローマGPの125 S

何であれ最初の出来事というのは決して忘れることがありません。例えば初めての登校日、ファーストキス、最初に就いた仕事などです。

初勝利

何であれ最初の出来事というのは決して忘れることがありません。例えば初めての登校日、ファーストキス、最初に就いた仕事などです。それらは懐かしい思い出として記憶に残ることが多いでしょう。このことはフェラーリが1947年に125 Sで勝ち取った初勝利についてもあてはまります。F1で他のチームよりも多くの勝利を重ねてきたというフェラーリの比類なきレース経験が、この初勝利をきっかけにスタートしたからです。 1945年の中頃に、エンツォ・フェラーリが今までにない斬新なマシンを設計して欲しいとジョアッキーノ・コロンボに依頼したのがことの始まりでした。エンツォは、アルファロメオのチームに初めはドライバーとして、そしてのちにはチームディレクターとして長年携わったことや、戦前のレースで次々と勝利しチームに貢献したことなどからアルファロメオとは旧知の仲でしたが、そのアルファロメオを打ち負かしたいという野心を抱いていたのです。 エンツォ・フェラーリは、いかなるマシンであってもエンジンが最も重要であると考えていました。故に彼はその最初の設計段階から、パワーユニットの開発に驚くほど力を入れたのです。その結果、レースに必要なパフォーマンスを生み出すことができる12気筒のアーキテクチャーに辿りつきました。とは言うものの、フェラーリはコスト削減にも効果的な、極めて実用的な要素も数多く採用しています。モデル名に含まれる125という数字は、1気筒あたりのシリンダー容積を表しています。気筒数が12であることから、総排気量はわずか1,500ccです。

エンジンの製造は、デザインに関する主導権がジョアッキーノ・コロンボからジュゼッペ・ブッソに引き渡されるかたちで進み、あっという間に数ヶ月が経過しました。そしてルイジ・バッツィが細部のチューニングに協力すると、最終的にそのエンジンはテストベンチにおいて120 bhp/6,800 rpm付近の出力を生み出すまでになったのです。 この時、航空産業用の高抵抗鋼管を専門とするジルコというミラノの会社が鋼管シャシーの製造に追われていました。前後に通る2本の金属製サイドメンバーを中央のX型クロスメンバーと接合した鋼管フレームにより、シャシーはフェラーリが要望した通りの剛性と軽さを備えることができました。

使用されたのは楕円形の鋼管です。 1947年3月12日、マラネッロからフォルミージネまでの田舎道にエンジンの轟音が鳴り響きました。ボディ非架装状態の125に命が吹き込まれ、フェラーリの壮大な冒険が始まったのです。2ヶ月後の1947年5月11日、125 Sがピアチェンツァ・サーキットにおいてレースデビューを果たします。マシンの名前に付けられたSの文字は、レース用のスポーツカー仕様であることを意味しました。ステアリングを握ったのはフランコ・コルテーゼです。実を言うとレースには2台のマシンがエントリーされていました。その2台目というのは、1台目と同じランニングギアを装備しつつも、ボディを細身の葉巻型に変えた125 Cでした。(名前のCはシガーに由来します。)ドライバーに選ばれたのはニーノ・ファリーナでしたが、あいにく、トリノ出身のそのドライバーは与えられたマシンに不満があったため、チームメイトのマシンと交換することを要求したのです。しかし、フェラーリがそれを聞き入れなかったため、ファリーナはレースに姿を見せませんでした。

レースではコルテーゼの125 Sがトップを走っていましたが、フューエルポンプの故障によりリタイアを余儀なくされてしまいます。 のちにエンツォ・フェラーリはその初レースについて「幸先の良い失敗だった」とコメントしています。幸いにもたった9日間のうちにその故障は改善され、1947年5月20日に開催されたローマグランプリではフランコ・コルテーゼが125 Sを駆って勝利を獲得しています。このローマグランプリは、古代ローマの浴場を囲むカラカラ浴場を周回するもので、その並木道のコースは40周の総走行距離が137.6 kmにおよびました。彼はこのコースを平均速度88.5 km/hで走り切ったのです。この初勝利のあと125 Sは1947年内にさらに5回の勝利を獲得しましたが、その中で最も有名なものはタツィオ・ヌヴォラーリがドライブしたパルマでのレースでした。

1947年の傑作