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初勝利

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1966

246 F1-66

  • エンジンミドシップ縦置き・ 65度V型6気筒
  • 総排気量2404.74 cc
  • 最高出力183 kW (249 hp) / 8500 rpm
  • ギアボックス5速 + バックギア
1947伝説の誕生

初勝利

ローマGPの125 S

何であれ最初の出来事というのは決して忘れることがありません。例えば初めての登校日、ファーストキス、最初に就いた仕事などです。

初勝利

何であれ最初の出来事というのは決して忘れることがありません。例えば初めての登校日、ファーストキス、最初に就いた仕事などです。それらは懐かしい思い出として記憶に残ることが多いでしょう。このことはフェラーリが1947年に125 Sで勝ち取った初勝利についてもあてはまります。F1で他のチームよりも多くの勝利を重ねてきたというフェラーリの比類なきレース経験が、この初勝利をきっかけにスタートしたからです。 1945年の中頃に、エンツォ・フェラーリが今までにない斬新なマシンを設計して欲しいとジョアッキーノ・コロンボに依頼したのがことの始まりでした。エンツォは、アルファロメオのチームに初めはドライバーとして、そしてのちにはチームディレクターとして長年携わったことや、戦前のレースで次々と勝利しチームに貢献したことなどからアルファロメオとは旧知の仲でしたが、そのアルファロメオを打ち負かしたいという野心を抱いていたのです。 エンツォ・フェラーリは、いかなるマシンであってもエンジンが最も重要であると考えていました。故に彼はその最初の設計段階から、パワーユニットの開発に驚くほど力を入れたのです。その結果、レースに必要なパフォーマンスを生み出すことができる12気筒のアーキテクチャーに辿りつきました。とは言うものの、フェラーリはコスト削減にも効果的な、極めて実用的な要素も数多く採用しています。モデル名に含まれる125という数字は、1気筒あたりのシリンダー容積を表しています。気筒数が12であることから、総排気量はわずか1,500ccです。

エンジンの製造は、デザインに関する主導権がジョアッキーノ・コロンボからジュゼッペ・ブッソに引き渡されるかたちで進み、あっという間に数ヶ月が経過しました。そしてルイジ・バッツィが細部のチューニングに協力すると、最終的にそのエンジンはテストベンチにおいて120 bhp/6,800 rpm付近の出力を生み出すまでになったのです。 この時、航空産業用の高抵抗鋼管を専門とするジルコというミラノの会社が鋼管シャシーの製造に追われていました。前後に通る2本の金属製サイドメンバーを中央のX型クロスメンバーと接合した鋼管フレームにより、シャシーはフェラーリが要望した通りの剛性と軽さを備えることができました。

使用されたのは楕円形の鋼管です。 1947年3月12日、マラネッロからフォルミージネまでの田舎道にエンジンの轟音が鳴り響きました。ボディ非架装状態の125に命が吹き込まれ、フェラーリの壮大な冒険が始まったのです。2ヶ月後の1947年5月11日、125 Sがピアチェンツァ・サーキットにおいてレースデビューを果たします。マシンの名前に付けられたSの文字は、レース用のスポーツカー仕様であることを意味しました。ステアリングを握ったのはフランコ・コルテーゼです。実を言うとレースには2台のマシンがエントリーされていました。その2台目というのは、1台目と同じランニングギアを装備しつつも、ボディを細身の葉巻型に変えた125 Cでした。(名前のCはシガーに由来します。)ドライバーに選ばれたのはニーノ・ファリーナでしたが、あいにく、トリノ出身のそのドライバーは与えられたマシンに不満があったため、チームメイトのマシンと交換することを要求したのです。しかし、フェラーリがそれを聞き入れなかったため、ファリーナはレースに姿を見せませんでした。

レースではコルテーゼの125 Sがトップを走っていましたが、フューエルポンプの故障によりリタイアを余儀なくされてしまいます。 のちにエンツォ・フェラーリはその初レースについて「幸先の良い失敗だった」とコメントしています。幸いにもたった9日間のうちにその故障は改善され、1947年5月20日に開催されたローマグランプリではフランコ・コルテーゼが125 Sを駆って勝利を獲得しています。このローマグランプリは、古代ローマの浴場を囲むカラカラ浴場を周回するもので、その並木道のコースは40周の総走行距離が137.6 kmにおよびました。彼はこのコースを平均速度88.5 km/hで走り切ったのです。この初勝利のあと125 Sは1947年内にさらに5回の勝利を獲得しましたが、その中で最も有名なものはタツィオ・ヌヴォラーリがドライブしたパルマでのレースでした。

1947年の傑作